SSブログ
話しておきたい ブログトップ
前の10件 | -

京都へドライブ親孝行 [話しておきたい]

◇先週末は、江戸川野球の練習と打ち上げ、義妹の来訪、女房の友人宅、 仕事仲間との研修と忘年会と、楽しい日々が続きました。まったくこういうイベントは続けてではもったいないないので各週に分かれてやってこないかと思います(今月はこういう機会が多いのですが)。飲みに共通していたのは、たまたま鹿児島の焼酎でした。今は晩酌も三岳ですし、ちょっとしたマイブームですね。

◇先週は、そうだ、と、(両親と)京都に行ってきました。1日目に大原に上がって寂光院・三千院を、2日目は嵐山から通天橋の東福寺・伏見稲荷、いちど宿に入ってから、祇園・四条河原・高台寺に寄ってきました。外人さんがますます増えたような。それにしても和服姿が似合う町です。そして、こちらより肌寒かったですがなかなかいい紅葉を眺められました。一夜お世話になった真如山荘の紅葉もなかなかよかったです。通りすがった静原というところも日本的な雰囲気のいいところでした。昨夜は早めの夕飯 を食べて錦に繰り出しましたが6時で終い、とのこと。早い!・ライトアップの高台寺では、池にも紅い木々が映って美しかったです。今日は帰りに伊吹山に登って帰ってこようと思いましたが、積雪でドライブウェイが通行止めということで、麓の関ケ原の決戦場跡を見て、浜松で鰻を食べて今さっき帰ってきました。 走行1,000km!

 寂光寺 本堂は5年前に焼けて新築された

 嵐山 天竜寺前

 東福寺

 やはり東福寺 南にあるので盛り

 金戒光明寺 会津藩に縁があるらしい

図書館の新着にの本があったので行く前に眺めていたのですが、ちょうどTVでの「雁の寺」をやっていました。その独特の京都の雰囲気がいいです。また、その後知ったのですが瀬戸内寂聴さんの本も京都を知るのに面白そうです。

水上勉の京都を歩く

水上勉の京都を歩く

  • 作者: 宮武 秀治, 蔵田 敏明
  • 出版社/メーカー: 淡交社 発売日: 2006/10 メディア: 単行本 〇 写真多く雰囲気伝わる。
 
寂聴と巡る京都

寂聴と巡る京都

  • 作者: 瀬戸内 寂聴
  • 出版社/メーカー: 集英社インターナショナル 発売日: 2006/10  〇

nice!(0)  コメント(0) 

夫婦でネパール② ドゥンチェのブッダ君の話 [話しておきたい]

◇週末の魅力的ないくつかの予定を断って家で養生していましたが、案の定、ネパールから持ち帰ってきたらしい風邪(あるいはなんかの感染症)で発熱して寝込んでしまい、あっという間に帰国から1週間がたってしまいました。そろそろ働くモードに入らないといけません。週末に高校山岳部の創部50周年記念の文集が届きました。読み出すと、会ったことがないほど年が離れた先輩や後輩が、山登りを通して同じような経験・思いをしているのがあって、読み止まらなくなり、一昨日などは3時まで起きていてしまい、今はけっこう目も痛いです。

 夜が明けてしまう~(プーンヒル)

◇ネパールの続き。実は初日の関空~上海経由便は10時間も遅れてしまい 、カトマンズに到着したのは夜中の2時くらいだったのですが、Pさんはお兄さんに頼んでまでして車で迎えに着てくれていて、さらに朝一番のバスに送っていってくれました。おかげで予定どおり2日目の夕方にはドゥンチェにまで至りました。まぁ、これも途中、大雨の地すべりによって道路が寸断されていて途中バスを降りて2時間も歩かされたわけですが。そして、その町で大勢のホテルの客引きの一人として登場したのが「ブッダ」君でした。いちばん小さいのに流暢な英語を話していかにも聡明そうでした。名を聞けば、「ブッダ」の名ということ。からかわれたかと思いましたが、ルンビニ(近年はたいへんな発展を遂げているとか)のある国ですから、そういうこともあるかもしれないのですが、それにしても大胆な命名ですね。名を呼ぶたびにちょっと不思議な感じになりました。トレッキングは雨のために(ヒルにもたくさん吸われて)途中から早々に下山してきたのですが、彼のおかげで楽しい数日を過ごしました。聞けば11歳というのでその割には体が小さく見えました。いろいろな国の人と接しているので、英語のみならず、歴史や他国の事情にも詳しいようで、コンピュータを勉強して、将来はガイドになりたいんだそうです。もうすぐお兄さんがFAXを買うから僕のところにも送りたい、と言うので、僕のカードをあげるとたいへん喜んでくれましたが、E-Mailについては悲しいかな、この小さい町にはネットカフェもないし、パソコンも手に入れにくそうです。ただ、何年かすればやり取りできるようになるかもしれませんが。おじさんの英語と拮抗して頭の回転良く話す、このように聡明な11歳(小5)が日本にいるのかなと思ってしまいました。もし、かの地に行くことがあったら、アンナプルナホテルに彼を訪ねてみてください。

  尺八を吹いてもらったりしました

◇後半は、山賊が出るだのマオイストが跋扈しているだのと、散々脅された、アンナプルナ山塊を歩きましたが、シーズン前、かつダサイン前だからか静かなもので、ほとんどの小屋で貸しきり状況でした。日本の夏の山小屋を体験した後だったので天国のようです。さらに、あんまり景気は良くないのでしょうが、小屋の料金は定額になっているにも関わらず設備を良くして競っているのだそうで、その恩恵に浴して温水シャワーなどを使うことができました。台所で沸かしたお湯を下の階のタンクに流し落とすという仕組みのもの。また、電柱が立って電気があるはずのところは停電していて、電気のないところは太陽発電の設備があるので電気が使えたりしました。ただ、コールドドリンクがコーラやファンタの類だけというのは日本人にはきついですね。今どきあんな甘い飲み物はなかなか飲めません。オフシーズンでも夏休み時期でなくても、そこそこトレッカーはいましたから、いるところにはいるものです。意外にフランス人と中国人に多く会った気がしました。

 8千メートル峰のダウラギリ

◇トレッキングの最中にソローの「森の生活」を読みました。ソローという人は初め、70年代、少なくとも戦後、今世紀の人かと思って読み始めたら、どうもドルの価値が高いような(?)。確認してみると、1830年代なんだそうです。古さの中に発想の新しさがあって驚かされました。そして、なぜ、西側の人間にネパールのトレッキングが人気があるかということがわかったような気がします。それはどうも「原始的な生活」が営まれているのを見てほっとするのではないでしょうか。物見遊山的なこともあるにせよ、牛糞・薪を燃やし、付近の畑の野菜、庭の家畜の卵・肉を食らい、牛乳を温める。夜はろうそくやランプ、ストーブを囲んで家族・仲間と酒を飲んで話して過ごし、日の出ととも起きる。テレビがない。天気予報もない。明日は雨が降るかもしれない。降らないかもしれない。そんな、したくてももうできない(かもしれない・であろう)素朴な生活。物が少ないからあるものを工夫して使う。自然に対して傲慢でなく馴染んでいるから、どこか安心している生活。ソローの「時計が何時を示そうと、人々の態度や労働がどうあろうと、それは問題にはならず、僕が目覚めているのが朝であり、ぼくのなかに夜明けがある。」 生活。膨らましているかもしれませんが、自然の中で自分や自分の周りの人と十分に向き合う(合わざるをえない)ということで、よく似てはいないでしょうか。僕はもちろん人間関係というのは是非に取り持っていかなくてはならない必須のものと確信していますが、かといってそれだけに一生のうちの多くの時間を終始・専念させられているのはどうかと思います。日本の社会はじつに複雑ながら濃密過ぎる人付き合いをもとに成立させられているのです(これは本当の意味の社会主義。悪く言えば全体主義。もしかしたら相互監視社会。)。もっと言ってしまえば、自分の好きでない人・興味のない人とも無理やり付き合わなければいけない社会(社会性ということである程度は求められるにしても程度に問題がある。つまり、そりの合わないお互いにとって不幸なのではないでしょうか)。Jレノンは「Nothing's gonna change my world」と唄いましたが、今生じているニートという問題は、日本人が個人主義、それから個人と他人との程よい距離を考えるのに、いいきっかけになればいいのになと思っています。

森の生活

森の生活

  • 作者: 本山 賢司, ヘンリー・D. ソロー
  • 出版社/メーカー: 宝島社 〇ところどころに胸のすく表現が多い。ただ、ちょっと読みにくい。
  • 発売日: 2005/12  メディア: 単行本

nice!(0)  コメント(0) 

続 ニューギニア:カーゴ, 水木しげる [話しておきたい]

◇WCグループリーグ3戦1分2敗=早期敗退ショック!もあって、今週は疲れてよく寝ました。急に蒸し暑くなったから? 歯のインプラント治療費が数十万円かかることになったから? どうもニューギニアについて消化するには時間がかかっていたような感じです。(夕方、瞑想したら少しすっきり) * ニューギニアの人の、ちょっとショックなほどの人の良さを目の当たりにして、少し気が付いたことがあります。日本人の資質を考えるときに、その仲良さ・人のよさ・お人よしさ・能天気さ・幼稚さが。あまり朝鮮人・アイヌ人・縄文人のルーツからは結びつかなかったのですが、ひょっとしてあちらの南方系の特質ではないではないかと。規範的なものとは対極的な、だらだらとしたまったりとした、それでいて居心地の良い、しかしどこか達観しているような・・・ 日本人の性根の奥底にそんな諦念は横たわってはいまいか。

 ホテルの装飾

◇ ニューギニアのMount Hagen 地方空港の待合室は、ただでさえ、冷房がなくて窓も開いていなくて熱気がこもっていたのですが、折り返し出発となる飛行機が着陸するとどんどん増えてきていた 乗客と見送客の熱気が最高潮になり、通常では理解しがたい大きな力に気圧されて、はぁはぁ、と ほとんど酸欠状態になりました。ポートモレスビーに戻って現地の日本人に聞くところによると、これが「カーゴ(積み荷)信仰」(飛行機・積み荷を神とみなす)の名残なんだそうです。百聞は一見(一体験)に如かず。さらに地方・田舎の空港に行くともっと熱狂がすごいんだそうです。 

 ホテルの写真1

 ◇昨日、水木しげるさんのニューギニア紀行の録画を見ました。北方大河沿いに精霊を求めて溯るのです。河奥にひそむ精霊について、水木氏のスケッチと霊感の強い村人のイメージがワニに重なります。祭事に、鳥をイメージした彼らの全身へのペインティングはそうして自然なものを衣装にしてに少しでも精霊に近づこうとするのだそうです。夜中音楽を演奏し、精霊の到来を感じて陶酔して朝方にお帰りいただきます。彼らはいつも腹6分目で、果たしてあまり食べませんが、水木氏によると、そのくらいが「妖怪感度」がいいのではないかということだそうです。

 ホテルの写真2


nice!(0)  コメント(0) 

おじさんの葬式 [話しておきたい]

◇3月3日-9日 おじさんが5日に亡くなりました。1週間前にお会いしたときには思ったよりお元気そうだったのですが、末期癌というだけあって、その後、日に日に悪くなられたそうです(それでも、1時間半も自分で入浴されていたこともあったそうです)。8日に通夜、昨日が告別式でお別れして来ました。82歳。元軍人で 神奈川の歩け歩け協会で この1月まで歩いていた人だけあって、荼毘後の骨が太いこと・多いこと。

◇おじさんが皆で再会することを楽しみにしていた従兄弟たちとも久しぶりに会って長く話すことができました。僕は、おじさんとは同姓同名!というだけでなく、たくさん似ている点があって、失礼だけどおばさんや従兄よりもおじさんの気持ちが分かるような気がします。山道具も古いのがいっぱいとってあったようです。もっと長く生きられたようだったけど、日ごろ周りに迷惑をかけないように言っていらしたから、ひととおり皆と会えたら、あとは薬もひかえてご自分で出立を決められたかもしれないです。とうとう寝伏した姿を見せず、女房も末期がんで今どき自宅で過ごせるとはまれと言い、親戚はみな最後まで「あっぱれ」だったと口をそろえました。次男でしたが、兄弟や親戚をいちばんとりもってくれていた方なので、親戚の間でも喪失感はかなりあるでしょう。いい歳での往生だから、辛い、とまでは言わないけれども、今回はほんとうに悲しくて、今までの見送りの中でもいちばん悲しいんだと思います。感情を押し殺しているからでしょうか、最近とても疲れています。

◇うちのおふくろが弔辞を吟じました。なかなかがんばりました。率直な人柄から「直心康禅居士」と名をいただき、荼毘にお送りして待っている時間、おじさんの唯一の孫の1歳半のS君が「おーい!」と手を上げて部屋に入ってきて、おじさんが戻ってきたようで吃驚しました。転んでもワァーっというだけで泣かずに走り続ける彼のおかげで皆和んでいられました。今でも最後に握手して別れたときの温かい大きな柔らかな手をありありと思い出します。むかし酔っ払うと、よくあの手で強く握られて「親を大切にしろよ。約束しろ。」と迫られたものです。


nice!(0)  コメント(0) 

おじさんの見舞い 友人遺稿 [話しておきたい]

◇25日-27日 土曜日 女房が仕事とはいえ昼休みが1時間半あるということで、久しぶりに近くの上品で美味しいイタリアン・イゾラに行ってランチしました。いさきのカルパッチョもケソンのソースが絶妙で、ピッツアもトマトが新鮮で好いし、何時来ても楽しませてもらいますが、心配になるほどお客さんが少ない。もったいないなぁ。その後、麦でお米やオレンジをいただきましたが、そこで初めて女房を紹介しました。1年も近所でお世話になっていてなにかこそばゆい感じです。女房はそのまま夕方まで仕事でそのまま都内に友人の集まりに出席して深夜帰宅。

◇日曜日 末期がんのおじさんを見舞いに行きました。終戦時、神風特攻隊の出撃待ちをしていたと聞く元海軍兵です。アウトドア好き。何百キロも離れた福島の親戚の家に自転車をこいで現れて皆を驚愕させたこともあります。僕への影響も大きかったにちがいありません。僕のみならず親戚の従兄弟たちは皆 おじさんにかわいがってもらい、会えばいつも面白いことを話してくれたり、してくれたり楽しませてくれていました。今日も、(寝てばかりと思ったのですが)会うなり、「髭を生やしたのだね。」、「どこの俳優が来たかと思った」とかニコニコ声をかけていただきました。しかし、会ったときにかかえた肩の感じで 痩せてしまって骨が浮き出してるのがいやでもわかりました。また、時間と共にだんだん辛そうな様子が見えて、楽しい話題をしているのにこちらも悲しくなり、ちょっと尺八を吹かせてもらって、けっきょく1時間くらいでおいとましました。「また従兄弟たちみんなで集まりたいなぁ」「(お見せした写真の)サグラダファミリア行きたかったなぁ。」と仰います。「また集まりましょう、また来ます。」と応えます。名残惜しそうにして見送ってくれました。もう、言葉がありません。いつも楽しかった人が、ときおり固い表情で伏せ目がちに下の一点を見つめているのを目にすると本当に辛いものでした。帰ってきて読んだ般若心経の本に、堪えがたく悲しいときにお経を読みきる強さのことがまさに「読経」だ、とありましたが、そうかもしれません。不生不滅など、書いてあることがほんとうで、それでほんとうに乗り越えられるのでしょうか、いつも案じていることがまさに試されている感じです。

◇夜それから、これもそういう機会かと思って、若くして逝った友人たいら君の遺稿も読み返しました。面白い。サイクリング好きであったところとか叔父さんにも似ているかもしれない。彼は言葉に伝えられないものをいかに伝達するか心をくだいていたのですが、実際、年月を越えて伝えてくるのは、文字に残した彼の言葉でした、それは彼の伝えようとしたものの不完全なものであったかもしれませんが、お母さんがないしょで取り置きしていて、こうして今に伝わったのです。完全でなくても、人がらを知る人や読む人が読めば、行間に伝わってくるものがあるのだと思います。違う言い方をすれば、その伝えたいものに何か思いほとばしっていれば、詩のように、図らずも結局伝わってくるものであるのでしょう。彼はまた、「どんなに他人にわかりにくい表現であってもいいから、自分なりの表現でなければ、それを表現する意味はありません」と言っています。彼が高校生のときの日記からです。


nice!(0)  コメント(0) 

鷹取山 岩トレーニング [話しておきたい]

◇さすが師走だけあって僕のようなものまで忙しい。月曜日は麦のミーティングと忘年会。農業を中心にいちだんと活動分野を広げたいのだが、生産地 新潟との渉外がそれなりにたいへんそう。こちらも一年を通してチームワークのようなものができてきたので まとまって対処いけるのではないか。ただ、継続性を保つためにも 経済的にも潤わなければ。◇開けて昨日は追浜の鷹取山にて、リード・確保のH氏の研修会、貴重なロープワーク技術を伝授していただいた後、懸垂下降をして、久しぶりに岩にしがみついたがあえなく敗退。今は上腕が筋肉痛。力はいらないといわれるのだが・・・。その後、品川で忘年会、なかなかいい出会いをさせていただいたのではないか。今朝は「お届け」の後、湘南平でいっぷく。車検に車を出しに行ってもろもろ。あー、年賀状とかそろそろ買っておかないといけないのだな!

 鷹取

◇来年のWカップの組み合わせが決まったが、先々週、ジーコ監督のインタビューで面白い記述あり。天才と言われて世界を知るジーコ氏が日本社会の一端を語る意味で興味深かった。「サッカーは、試合の流れの中で選手が自分で判断をしなければならない競技だ。しかし日本選手には教育の影響で、失敗したらどうしようという心理があり、チャレンジしない選手が育ってきたのは確か。日本にはミスしたら交代させるという罰を与えるような監督もいる。これでは選手に余計な重圧を与え、伸びる選手も伸びなくなる。わたしは選手に個人の判断、チャレンジの大切さを伝え、徐々に克服してきた」「終わってからああすべきだった、というのは絶対にあってはならない。わたしは監督として今ままでの経験、ノウハウ、世界のサッカーの情報など、すべてを選手に伝える。全部伝えて自分の中に何一つ残らなかったとなって、自分にとって悔いのないW杯だったということになる」「我慢強いのではなく、自分が選んだ限りは 間違いなくいいものを持っているとの自信があった。能力を発揮させるには自由にさせなければならないこともあるし、失敗もする。そこは割り切って成功を待たなくてはいけない」(共同通信11月26日)  教育=社会の縮図か。つまり日本の社会は、失敗の結果を心配するあまり、ミスに懲罰的になり、萎縮して臆病でいて、能力があっても周りを見ながら小出しにすべきで、悔いのないよう・胸を張って堂々と・全力をつくして、あらんかぎりの能力を発揮できにくい、と見られているのではないか。周りとの調和を求める社会のあり方としてはけっして悪いものではないから、個人の能力発揮の仕方については さもあらなむと思う。ニートなる人種が増えてきたのもそんな状況の産みだしたものではないか。


nice!(0)  コメント(0) 

「ダライ・ラマの般若心経」Heart Sutra [話しておきたい]

◇12月に入って今日は寒い。今年最後となろう野球の練習が昨日(土曜日)でよかった。たまに出ると 監督からしごかれるような気がするが被害妄想か?。若いのにつられて動いたが、案の定、今朝は筋肉痛がひどい。特に背筋・尻下大腿裏(人工芝ゆえ?)・腹筋? 明日以降まだ他に出ないことを祈る。帰り道、よかれと話題にしたとはいえ、ちょっとのろけすぎて反省。◇野球している放っておいたが、社長と作業していたスカウト中のマネージャーは来てくれそうだろうか。夜3人で飲むが、まぁいい雰囲気。ただ、話題にしやすいのか僕のことにも話が及ぶ。仕事以外のことで あまり言われたくないんだがしようがないか。◇Jリーグ最終戦は まれに見る僅差で迎えて、ガンバの優勝で劇的な幕切れ。NHKの録画を見たが、(89分に今野に同点にされた)セレッソ戦ロスタイム3分経過直後タイムアップを待たずに、それまで90分ずっと追っていたセレッソの試合の画面から、ガンバの画面に切り替わった(そのまま優勝を映し出した) 。非情なカメラワーク。 同点弾をくらった際のベンチの森島主将の表情のアップが印象的・気の毒。スペインにいてあまり試合に出られない大久保も悔しそう。

◇一昨日の午前中は、渋谷で上映中の「ダライ・ラマの般若心経」を見に行った。法王のお話もさることながら、日本のフィルムもここまで簡潔でわかりやすい編集ができるようになったかとちょっと感動。DVDも出ているらしい。ただ、映画館の性格上しかたないが、上演前に10分くらいだが、前衛映画の予告編を延々と見せられたけど 刺激的過ぎておじさんには苦痛だった。

ダライ・ラマの般若心経  <The Heart Sutra> PHOTO BOOK & DVD

ダライ・ラマの般若心経 PHOTO BOOK & DVD

  • 作者: 大谷 幸三
  • 出版社/メーカー: ジェネオン エンタテインメント
  • 発売日: 2004/09/15
◇映画の内容:あるお経にはさまざまな解釈があるが比較して学ぶことが重要。般若心経(Heart Sutra)はほとんど瞑想の主題について書かれている。最後のPARA GATIは GO BEYONDということだが、真理をめぐる5段階の最上の涅槃を目指して行きましょうということ。そこは「無知」が完全にREMOVEされた境地。空が理解されるばかりか感得されたところ。内的レベルが高まっても、高まったと思ったときはまだまだ低いということ(笑)。◇空とは何か。現実には、光と闇、対極の現実があるが、本性は純粋であることの理解。emptyであってけっして無(Notihing)ではない。ここに象がいないとして、それは象という認識がある故の認識。例えば紙があったとしてその本質を追求するのはムリ。すべての事象が相互依存(depndent)して在ることを示す。まさにこれが究極の本質。「自我」と「思惟」(私の心)も不調和するようだが、さまざまな因子によって、お互い依拠して存在する。⇒独立して存在するものの非存在。例えば仏の姿に集中して瞑想したとして、その仏は存在しない。その空でさえ実は存在しない(不空)で、現象一切が空。そして、真実のみが存在する!(ハッハッハッハ)。 20世紀後半、人類は大いにHumanityを進化させて非暴力が広汎になるなど成熟した。だから将来について心配していないが核兵器だけは注意。個人が平和を望めばそれは急速に増える。大切なのは個人の決意と自信。知性を使うべし。般若心経は視野を広げ(widen)、穏やかにする。唱えることだけでなく、そこから学び、体得することが有益(useful)である。そして、お経におけるブッダののキーメッセージは、カルナー(慈悲)の実践である。// 合間に流れる美しい映像とともに流れるお経に呼吸を合わせると、それでいい加減の瞑想に入れることがわかる。

nice!(0)  コメント(0) 

「明恵、夢に生きる」河合隼雄 など [話しておきたい]

●「明恵、夢に生きる」河合隼雄著 夢分析と言うとフロイトの執拗なセクシャルな分析(夢判断)に辟易としてずいぶん前から流していたが、今、義経で注目される鎌倉初期に明恵という僧侶が自分の見た夢を19歳から死ぬまで記録して主体的かつ「合理的」に付き合っていたという(このあいだ、夢の本を紹介する本に載っていて知った)。最近ミーハーだけど信頼寄せる著者の本だし読んでみた。夢については思い返せば平安の日記物にもよく出てくるし、当時の人には馴染み深いものではあったろう。が、何せ「克明すぎても無意識が意識的な制御を超えて危険に陥りやすい(自我肥大が生じやすい)」のでその分析はたいへん困難なもので、それゆえ明恵の「夢記」は世界精神史でも稀有のものであるらしい。

◇著者は、夢を「合理主義によって武装された自我は強力だがそれは一面的存在に過ぎず、常にその成長を願う存在(無意識)からのメッセージを睡眠中の自我がそれなりに意識化したもの」と考え、その内容を自我を越えて、自分の盲点と何らかの意味で関わるものであるとみて意味を引き出すもので、単純にそれを信じるものでもないから、強力な合理性と、それを越えてかつ非合理の世界と向き合う姿勢を持つことが必要と言う(p.43-44)。例えば、身体切断のイメージは人間の人格の発展の過程を(切るは父性原理(西洋)、包むは母性原理(日本 妻をおかあちゃんと呼ぶ)が関連していると考えられる、明恵は自分で右耳を切り落としたりしている)、歯が抜けるのは咀嚼・つまり解釈の変更を求められているのだという。「相応等起」や「華厳思想」とか。。。いや容易でない。

◇明恵は物事の両面性をよく見極める姿勢があった。例えば、修行にも多くの人と騒がしくて邪魔だてされるが、一方山中に一人でいるのも知らず知らず時間にゆとりがあって怠ってしまう危険性があると指摘したり、一休みするにも精神を集中してイメージの世界に入っていくのと、ただ願望に動かされて空想している違いを指摘している(耳が痛い)。一方に偏らないためには心に必要な余裕・ユーモアも備えていた。なお、明恵はまた北条泰時の「貞永式目」(御成敗式目)の制定に深く関与して、著者は、それは武家時代600年を通じて日本人の秩序意識に大きな影響を与えたから彼は日本の思想においても重要な人物だったと指摘し、さらにその影響を受け入れて育まれた日本人の国民性については、余談的だが、「倫理的な面では礼や戒を受け入れなかったが、芸術の世界では一種の補償作用のように極端に細かく厳しい礼や戒を重んじた文化性があったのではないか」という中根千枝氏の言を引用している。これはこれで、芸術の世界に限らず、様式美・形式美は世界的な高い評価を得ながら、思想・精神面においてはバラエティを得にくく、貧相、かつ形骸化を引き起こし易い現在の状況を鑑みると興味深い!*夢判断については、googleでこんなサイトもあったので見てみた。http://members.aol.com/lilylove28345/dream1.htm

明恵 夢を生きる

明恵 夢を生きる

  • 作者: 河合 隼雄
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 1995/10
  • メディア: 文庫

●「カルマと再生 生と死の謎を解く」本山博著 とうとう大御所(国際的超心理学者)の著書。数年前であれば恐ろしくて手にできなかったのだが江原啓之氏もTVで活躍するようになった時代の流れか。意思的に行った行為の果・カルマの種子が体のあるチャクラに貯えられ承継されるというほか、その条件・メカニズムなどあまりに説明が具体的でおどろおどろしい(それほどカルマは厳しいのだという)。知りたいのは何のために人間は輪廻転生するか(←もう既にあるのが前提。そして再生の目的はは霊的成長の必然性のため)。アストラル界を越えたカラーナ界が仏教の阿頼耶識界にあたる。おそるべきは無明、食欲・性欲・感情・想念・恐怖、そして愛情・智慧でさえも引き起こす「心の執らわれの状態」。そして、行為の結果を求めない(行為させていただく、自分はそれを一生懸命させていただくだけ、自分にとっては結果が良くても悪くても受け入れるべき)「超作」によってのみカルマを超えられるのだという。言うは易し行うは難しだが一日のうち1つでもやるんだそうだ。ほぉ。

カルマと再生―生と死の謎を解く

カルマと再生―生と死の謎を解く

  • 作者: 本山 博
  • 出版社/メーカー: 宗教心理出版
  • 発売日: 1987/09
  • メディア: 単行本


nice!(0)  コメント(0) 

教科書問題について ある英語のサイトに投稿してみた [話しておきたい]

 週末にひいた風邪をこじらせてしまっているらしい。

●教科書問題について ある英語のサイトに投稿してみた。:「一部の右翼派の不良策略があるのは残念。ただ問題の教科書は、数ある教科書の一候補で選択可能であり、政府はそれと特定できない。多くの国民は、自国の戦士がアジアの解放と国土の防衛のために戦地に向かった心情を理解しつつ、戦争中の略奪行為について残念に思っている。略奪行為について、図書館に行けば何十冊もの関連本を見ることができるし、図書館は率先してセレクトしているとさえ見える。戦後の教育の成果は、無実な対象に決して暴力的にならないこと、さらにそれを許容するような侵略的な政府を擁しない事実に現れているのではないか。少なくとも私や周りの人たちは二度と聞こえのいい大義のために利用されないように気をつけている。」

I know there are some rightists' foolish measures to be required by regretting in this country. However, the textbook in question supported by them is anything more than one candidate of a number of textbooks, and the government never specify that one, it must not be mixed up. If we go to a public library, we can see dozens of books related to the massacre (the library might be even said to be first to select such books).

Almost all people regret our country's past pillage act under war independently the feelings that many soldiers lived in neighbours went to the battlefield for the defense of  country and  the release of Asia.  My surrounding people at least are looking out never to be used for some ear- pleasing Righteousness now. Isn't it one of lesson taught by the war? And I belive, above all the result of the postwar education has never the result come out of the allowness people to be violent and  the allowness people have the government to permit the violence against the innocent, has it? 


nice!(0)  コメント(0) 

ローマ法王の葬儀 サクラ [話しておきたい]

◇昨日、バチカンで取り行われたローマ法王の葬儀を見た。各国首脳の中にはイスラム国の元首の顔もあった。広場には約200万人以上が集まり、弔問客の通算500万人に上るという。 たしかミラノ市の人口に当たると思う。ヨーロッパ各都市における弔問の様子も見られた。人々の顔には法王への敬愛と感謝がよく表れていた。法王が即位された直後の80年代初頭は東西冷戦の緊迫のただ中で、広島で核廃絶を訴えられたときは、今では想像できないくらいの切実さのあるメッセージだった。その後、東西の対立はなくなり、今回、広場では国境を越えて大挙やってきたポーランド国旗がたくさん見えたのは象徴的だった。そうした時代の流れを感じさせる節目であった(カトリックのカミノでもポーランド・ワルシャワから3600kmを歩いて巡礼者が通ったという)。

◇日曜日に伊勢原の日向山、水曜日に茨城の高鈴山(仕事)に登った後、昨日も大磯から湘南平まで歩いた。暖かくなって体を動かしたくなってきたのだろう。もちろんサクラ見物もしたかったのだが、でも、もう葉桜もあった。他の花々もきれいに咲いている。一箇所で本を読んでいると、通りすがりの何人もの人が「もう葉桜(だ)ねぇ。」と同じことを言うのが可笑しかった。小さい女の子が桜の前に立ち尽くしていてお母さんが帰ると言っても「もっとサクラ見るぅ!」と留まろうとしていたり。独りの人、ご家族、カップルと 思い思いに開花を楽しんでいた。花を愛でる優しさはいい。大勢の人が居たけれどさすがに平日でお酒を飲んでいる人はいなかった。週末は宴会系の人が集まってそうした雰囲気も変わるかもしれない。さて、その南斜面には広葉樹を中心に美しい林がある。今まで住んできたところで、こんなに近くにそうした自然が豊富なところはなかった。しかも人通りも少ないし。山奥ではないから独りで尺八を吹くとまではいかないけれど、ただ歩くだけでも気持ちがいい。直ぐ下に住んでいらっしゃる方もうらやましい。ところで日没間際の薄くらい道を歩いていたら、横穴古墳があって「ここは墓場の谷」と案内があって、ちょっとゾゾっとした。


nice!(0)  コメント(0) 
前の10件 | - 話しておきたい ブログトップ