順調に登っていると、穂高岳の大絶景が飛び込んできました。


前日登った、西穂方面もよく見えます。歩いたのは左半分でしたが、こうして真横に見ると、その13の登降がよく思い出されました。


昨年2度登頂した前穂、こちらからとくに かっこよく見えますね。


峠近く、最後の水場を経て カラマツソウ


きれいなコケ


小屋が見えました(手前が登録有形文化財の旧舎) ときに14時半、上高地から7時間ほどかけて至りました ゆっくり贅沢な登山です。


狭山の方々のグループがこころよくベンチをつめて空けてくださって、午後のひと時を楽しみました。内海さんが ほやの干し物などめずらしいものを持ってきてくださって長く楽しみました。


そして 小屋の、ていねいに作ってくださった夕食も楽しみました。今回は2017年の霞沢岳のときとちがって新館の2階に泊まれました。


翌朝、本日は長丁場です。4時半の朝焼け。

徳本峠は とくごう峠と読みます 


そのむかし、明神あたりの地名を とくごと呼んでいた説があるそうです。


島々までの道のりは長かったものの、木々の緑が深く渓谷も美しい歴史ある古道を味わい歩けました。


朝もすばらしい食事 ありがとうございました。


小屋に、そして


穂高に別れを告げ


ジグザグの急坂を下りていきます。(オオカメノキ)


カツラやホウノキのすばらしい林


ホウノキの大木


オタカラコウ


おや これは気の早い ホトトギス


広めの沢床に下り着きましたが まだまだ長い


渓谷が深くなったら


岩魚留小屋 安曇野族・ウエストン・芥川龍之介・高村光太郎らも通ったことでしょう


見たこともないような カツラの大木


近年の台風などで崩れて ヤブ深いところあり


瀬戸のあたり


乾いているからいいものの 心細いような桟道もありました


二俣まで3km弱、島々まで8km 下から、朝の電車で歩き出した方々とすれ違うようになりました


やっとこさ 二俣の水力発電所 希望的な観測ではここまでタクシーが入るのではないかと思っていましたが、林道の状況を見るとむずかしいかんじでした。釣りに四駆で入って来ていた方はいらっしゃいましたが、電力会社の方? 何か特別な方法があるのでしょうか。


飛騨・落城間近の城から血筋を残すために脱出して旦那様と島々で待ち合わせた奥方が、ここで杣人の手にかかって果てて再会、両者生存が かなわなかったという落人悲話


これほど山深いところでお気の毒な。折口信夫さん(釈迦空)が短歌を詠んで、供養碑が建てられたということです。


それにしても 昔の方々はなんと長いみちを歩いたのでしょう。


14時ごろ 野麦街道に出ました。


じつは、上の小屋でこれらをメモしていたのですが、アルピコ・新島々営業所は閉鎖、沢渡営業所からは迎車不可! バスも入ったばかりで(あっても入浴したいし)、旅館さんには食事とお風呂をお願いしながら迎えに来てもらおうかと聞きましたが、宿泊以外は不可(当然か)ということで、困っていたのですが、波田?所属のタクシーが通りかかって、竜島温泉・新島々駅に快く送迎してくださって助かりました。帰りはそろって16時発 新宿行き高速バス乗車でらくらく帰京。おつかれさまでした。ご参加くださいましてありがとうございました。