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カミノ④ レオン アストルガ ヴィラフランカ(2004/11/4-11/6) [うちゆう宇宙の旅]

<ブルゴス> 久しぶりにホテルに泊まって目覚めるとだいぶ体が軽くなったようで、よほど疲れがたまっていたのだと感じる。さらに荷物を減らさねばと反省して2kgほどだが先に送る。こんどは同じ国内だから安くて済み、バス停のカフェで機嫌よく朝食、風から回復するにはビタミンCを、とオレンジジュースを頼む。こちらのジュース製造機は握りこぶしのようなものでオレンジ2個を絞るものでよく絞れて面白い。と、エルシドの墓で有名なカテドラル San Estebanを見る時間が迫ってきているのに気づき、大急ぎで見て回りに行く。ほとんど速足になってしまったが、素晴らしい装飾の前で足が止まって仰ぎ見た。それはやはりダビンチ作といわれるマグダラのマリアだった。

<レオン> この辺りは、カミノでも平原を延々と歩き続ける難所らしいが、バスで数時間で次の大都市レオンに到着する。荷物を預けてサンドミンゴ広場に出ると見栄えのいい建物が目を引く。ガウディの珍しい北スペインでの建物 カサ・ボティネスである。大聖堂Catedral de León は大きく威厳に満ちていたが、残念ながらシエスタのせいでステンドグラスが有名な中が見られなかった。

仕方なく隣りのサンイシードロ教会に入って、人もまばらな薄暗い講堂の長いすに座ってやっと一息ついていると、頭の前の方、前頭葉に違和感を感じる。円形のものを押し当てられているような感じで、頭をずらすとその当てられていると感じられる箇所は同じところで変わらない。何か円形の電波かを照射されているようだ。神秘体験なのか?、と3分ほどその不思議を味わっていると、しだいにそれは頭頂の方に移っていって最後に消えた・・・。何か意識的なものも微かに感じたような。探られたのだろうか。

<アストルガ> バスステーションに戻ってポンフェラーダ行きのバスでアストルガに出て、暖炉の火が暖かい、いい雰囲気のオーベルージュに泊まり、近くのレストランでマス料理を食べて鋭気を養う。今日1日楽したが明日からまた歩くのだ。全長800kmの半分400km以上は歩こうという目標にしたのだった。ここにはまた新しい巡礼者が集まっていた。1日前まで一緒だった賑やかな仲間が懐かしかったが、ここからまた仕切りなおしだ。彼らはまだ200km以上手前のログーニョ辺りなんだろう。

翌朝8時に勇んで出発するが、例によって都市からの出方が難しい。ある程度見当をつけて町を離れてふと振り返ると、杖をついて巡礼者と思われる黒灰色のマントを羽織った大男が追ってきているのが見えたので、この道でよいのかと先に進む。道はそれで良かったのだが、結局その男はそれきり見かけなかった。幻のような人物だった。EL GANSOの手前の原っぱにぽつんとあったベンチで、最後の味噌汁にパンと白チーズ・ハムとで遅い朝食。やはり歩くのは楽しく、快調に飛ばす。

21km歩いて、ふつう泊まることになるRABANALには昼頃に到着してしまったので、道端に構えるBARでビールを飲んで寛いで昼食をとり、後からやってきたスペイン人とアメリカ人を迎える。彼らはもう泊まってしまうらしいが、1日休んだ分、僕はさらに山を越えることにする。

<CRUZ DE FERRO> FONCEBADONの廃墟を過ぎ、投函できずにいた日本への絵葉書をポストに入れ(意外にも1週間後に到着)、さらに登り歩いてカミノの最高点、標高1500mのCRUZ DE FERROに到達する。大きな塔がそびえているが、ここには巡礼者が持ってきたという多くの石がうず高く置かれて支えている。タルチョがはためくチベットの峠(ラー)のようだ。峠とはある極まりであって、そこからまた次の極まりへの長い道のりが続く、ある種の雰囲気があるのだがそのような情緒があった。むかしはかなりの難所でもあったらしい。

しばらく前からずっと巡礼にも会わず心身ともに寒々しかったが、記念に、と尺八を吹く。思えば、尺八を始める機会になった、祖父・伯父・大学時代の友人・本格的に習った師匠の4人とも早逝されて今はいない。その人たちのことを思いながら感謝を込めて吹かせていただいた。遠く離れた外国だが、宗教的な場所だからそれなりに聞いてもらえただろうか。長いこと旅をしてきたが、やっと心からそういう機会を得られて吹き終わって少し安堵した。

山の上で景色が良さそうで、泊まってもいいかなと思っていたMANJARINの小屋も、まだまだ先に行ける!と勢い良く過ぎ去ってしまったが、それから次の宿までが長かった。足が棒のようになり、水も尽き、やれやれの延長戦になってしまった。やっと村落に降りついて、傍らの流水をごくごく飲んでひとごこちついていると、いつの間にかそばに来ていた背のすらりと高いドイツ人の女の子が声をかけてきて、5km先のRIEGOの宿は、此処よりいいからそこまで行かないかという。みょうに意志の強い目で抗しがたく同行することにした。今日3人目の巡礼だった。4ヶ月前にプロのボート選手を引退したので次の人生に向けて、父も歩いたカミノを歩いているのだと言った。オーベルージュに着くと、宿泊はその2人。管理人はガールフレンドがやって来ると、さっさとお先に、と帰ってしまった。料理するから一緒に食べないかといわれたが、なんとなく悪い気がして(というよりいい物が食べたかった!?)、近くのレストランに行くと、なんとそこは管理人のお母さんの経営で、サンドイッチしかないしその値段はちょっと高め。やれやれと宿に帰って久しぶりに日記を書き進めていると、彼女がお茶を入れてくれてお先にと寝てしまった。

<ポンフェラーダ> 翌朝、早起きして今日もがんばるぞと、山道を下りてポンフェラーダの町に向かう。大きな町はかなり手前から見えていて近そうでいて、道は迂回していてなかなか近づかず、かなりへばって城内に入り、広場のBARで遅い朝食をとる。チーズサンドイッチを頼んでカウンターの中の女性を見るとアフリカ系のかなりの美人で、こんなところに、とちょっと驚く。昨日のドイツ人といい、美人続きで旅が華やかに? スペイン語で話をして、気分上々で隣の雑貨屋に行き、水を買い求めたつもりが、残念、フィルムを差し出され、まだまだ通じていない、とがっかり。そこでトマトも買ってすぐにかぶりついて栄養補給。ところが、新興開発中のこの町の脱出口は難しく、長い時間さまよい大きく時間をロスした。やはり、都会のアスファルトの道は分かりにくいし、固いし、排ガスもあって疲弊する。

午後、前日・その日とやはり無理がたたってきたか、足が痛くなってペースが急激に遅くなり、ほうほうのていでCACABELOSに辿りついて町に入る。狭い道の脇の建物の2階からしわしわのお婆さんが僕を見つけてV字を指で示してアケーレ・ドイスと言う。ここから2kmか2時間かと言ったようだったが、その勢いは、わたしゃサンティアゴに2回行った!とでも言っているかのようだった。とにかく励ましてくれたのだろう。

<ヴィラフランカ デル ピエルソ> それからさにら西日がきつくなる中とぼとぼ歩き進み、1ヶ所と思っていた峠も、結局3ケ所ほど越えて、やーっとヴィラフランカの村の入り口にあるオーベルジュに下りついた。ここは巡礼者のボランティアで改築が進み、NHKでカミノを放送した際も取り上げられたそうである。たいへんフレンドリーな方たちが温かく迎えてくれた。暑くないシャワーだが浴びて、コーヒーを飲んで一息つき、早い時間で選択肢が少ない中、シュラスコを定食で出しているレストランに入って食事。とにかくエネルギーを回復せねば。しかし、宿に帰って、痛い足を見て驚いた。左足の小指が小さいサクランボのように真っ赤に腫れあがっているではないか。熟れてポトリト落ちてしまいそうで、これではとても歩けない気がした。


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