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カミノ⑥ PALAS DE REY ARZA MT. DE GOZO(2004/11/10-11/12) [うちゆう宇宙の旅]

PALAS DE REY > 荷物を見直すと、さらにカサとトースト用の網がなくなっていて寂しい。川を下って鉄道の線路の下を通り抜けて山中へ。森林の雰囲気は良い。ポルトガル人ロドリゲスら4人グループに追いつくと、「昨日はオーベルージュにいなかったね、何所に待っていたの?」とニヤニヤ指摘された。いやさすがにホテルは身体は休まるし、BARでの朝食もよくて快調だ。曇り空だが、サングラスがないから助かる、としばらく一人で歩いていると、陽気に手を振るアベックに追いついてそのまま同行。フランチェスコは南のマラガからで、マリアはフランスから。ブルゴスから一緒に歩いているのだという。手を繋ぎながら歩いて、途中止まって花を彼女にさしてあげたり、写真を取り合ったり、ほほえましい。彼は次のPALAS DE REYはプルポ(蛸)で有名だから食べようといってくれて、しばらく楽しみに歩くがこれがけっこう長い。やっと町に着いたら、お金を引き出すとかでしばらく付き合わされるが、やっとレストランへ。引き回したお詫びにということで、SIZZERというリンゴ酒や、ルホという酒をごちそうになる。それに、ワイン・スープ・鳥のから揚げの定食を食べる。そのBARには次々に巡礼が到着してきて知り合いを見つけたりして賑やかになってきた。バルセロナの女性と結婚してスペインに住み、旅に来ているオーストラリア出身の男性とも会った。同じ経度に住んでいたらしいことを聞いておたがい少し懐かしくなったようだ。さて、だいぶ酔いもまわってきたし、カップルも見つめあったりいちゃいちゃしたりたいへんになってきたので、そこを辞してその10km先のポイントを目指すことにする。

CASANOVA> しばらく行くとドイツ人のおばさんベルトリと会って、その先ちょっとのオーベルージュにとまることにした。鍵が閉まっていたが、4時半ごろ開館時間なのか近所の人が鍵を開けに来てくれた。近所に売店もなんもないが、それを知っているかのように、隣の家のおばさんがチーズを売ってきたのでベルトリが買った。まるごと1個。彼女はキャリアウーマンらしい。職業を聞くと「金持ちをもっと金持ちにする仕事」だという。(僕のような)貧乏を金持ちにするのはどうか、聞いてみると、すでに金持ちのものだけが金持ちになれる、んだそうだ。キッチンでご飯を炊いて少しのパンと2人で食べていると、続々と後発の巡礼が到着してきた。なかにはフランチェスコも。皆はポテトやワインを持ってきて僕らの食事と共に大賑わいに楽しくなった。せがまれて、イワンに岩、マリアに聖女、おじさんに侍などとマジックで漢字を書き込んだ。写真を取り合って散会になったが、返礼する気持ちで尺八を持ち出してきて演奏したところ大いに受けた。尺八の音色がものめずらしくて良いのだそうだ。彼女たちもアカペラで歌いだして踊ったりしてくれた。イワンはガリシアのセルティックの音楽も是非聴いてほしいといってきた。

ARZA> 7時起床。建物の外は雨がぱらぱらと降っていたが、しばらく歩いていると小降りになった。イワン・フアン(イワンパパ)・アナ・アナ(アナ友人)の4人とペースが合ってしばらく歩いて、カフェに入って朝食をとる。そこはスペインに来て一番快適と思われるカフェで、品の良さそうな3人の巡礼マダムは泊まっていたそうだ。ご主人が外にオレンジジュースを絞って取ってきてくれたのだが、これが新鮮でじつに美味しかった。 アナ・ガトは9月までマドリッドの空港の貨物センターで働いていて、2ヶ月前に退職したのだが、英語が流暢で助かった。MELLIDでコーヒーとルホをお腹に入れてさらに歩き、途中の小川にかかる橋を越えた景色のいいところでサンドイッチを作って5人で昼食にした。

その後、イワンとつたない英語で一生懸命に話して歩いていたが、イワンは足を痛めて遅れるようになったのでその父子を残して3人となり、トイレで分かれたところでその2人ともはぐれてけっきょく一人で歩くようになり、3時半、ARZAに着いてしまった。オーベルージュではその日一番最初についた巡礼となった。近所の果物屋や雑貨屋で食糧を買い込んで、入り口の奥でビールを飲みながら日記を書いていると、次々に後続の巡礼が到着、やぁやぁ、今日もがんばったねとじつにいい雰囲気。もう少しでゴールだから、一日歩いて疲れても皆も気分が高まっているのだろう。途中のMELLIDからやっと着いたようなのんびりとした巡礼もいるようだが、それより長い距離をすっ飛ばして歩いている巡礼の方が元気満々のようである。夜は、フアンが偵察して見つけてきたレストランに連れ立っていってみると、フランチェスコとマリーも合流して、プルポをいただく。柔らかいし、パンに油を浸しても味わい深い。カルボというスープも旨い。アナたちは、スィートなマリーがお調子者のフランチェスコにだまされているように言うが、彼女自身も辞書を片手にフランチェスコからスペイン語の学習に余念がなく、どちらが上手か?わからない。途中からフランチェスコとアナが討論を始めて皆黙ってしまった。なにごとかと聞きだしてみると、カミノを歩くことがヒロイックなことかどうかなんだそうだ。これが3回目らしいアナにはちっともそうには思えないんだそうだが、フランチェスコはたいへん名誉ある行為であるという。ヨーロッパに一人で来て、皆の4倍もの距離を歩いているよっしーはどうなるのだ、彼は英雄と思っているだろうか、とこちらにも飛び火してきた。フアンが、ルホとチョービットという強い酒で締めて散会した。サンティアゴまであと38km!

 「パンとワインが巡礼を導く」

<MT. DE GOZO> 今日は距離が長いので、暗いうちに出て近くのBARでコーヒーとトーストを。急ぐ割にはしっかり食事を摂るのがスペイン流か。一人で道に出てみたが少し迷ってルートに復帰。ヨーグルトやトマトで途中の補給をして、指痛を再発させないで今日のルートを歩ききれるようにに、木立の中で起伏の少なくなった気持ちのいい道を淡々と歩く。アナ・ガトは樹木の種類についてそれが古来のものであるとかいつ頃移植したものであるとか教えてくれた。アナリスはいつか日本に来たいと話しながら歩く。少しふくよかだけどエクササイズは普段から余念がないだけあって歩くのはけっこう強い。

ST.IRENEのよさげなBARで昼食をとり出発しようとすると、イワン父子がやってきたのでまた飲み直し。ある程度腹が決まっているのか、時間に余裕あるわけでないが腰がすわっている。いくら遅くなっても、引きずって歩くほど遅いイワンの足に合わせて行く、ということだ。

しばらくして出発、石の道標もいよいよ20km台を示す。ハーフマラソンを2時間ほどで走ったことがあるがいよいよ近い。飛行場の近くに行き着くと、GOZO(歓喜の丘)が近づいているようだったがそれからが長かった。とりあえず、またカフェ!ということで、道沿いのおしゃれなホテルに入ってカフェとチョビットを飲み、外も薄暗くなってきたので出発かと思ったら作りたての丸型ケーキが目にとまって、それを一切れということになり食べることにする。この時間感覚・余裕は何なのであろう。まぁ、僕はふだんのせっかちさを見直すいい機会だと思って、この人のいいスペイン人たちと最後まで行こうと思っていたのだが。やっと出発して、サンマルコスを過ぎると陽が沈んで真っ暗になり、イワンの足はますます重そうで、アナ2人も元気がなくなってきた。フアンだけが道を切り拓くように前にと進み僕が続く。途中で木を削ってとうとう手にした杖を手にしていくらか楽になった。

TVアンテナですれ違った車のドライバーにあと少しと聞いたのだが、そこからまた遠く、しかしやっと歓喜の丘に到着した。サンティアゴの夜景が綺麗に見える。オーベルージュの入り口が分からず逡巡するが、やっと入り口を見つけて受付に入ると、夜遅いのにスタッフはとてもよく歓待してくれた。広い敷地に多くの宿泊等が並び、そこそこ多くの巡礼が泊まっていて、皆明日のゴールを待っている。どうやらここはある意味終着のようだ。アナは「WE'VE GOT IT」と肩をたたいて喜んだ。シャワーを浴びて、10時に遅い食事をレストランで取り就寝。明日はいよいよサンティアゴへ。


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