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カミノ⑦ サンティアゴ フィニステーレ (2004/11/13-11/16) [うちゆう宇宙の旅]

<サンティアゴ>(やはり年を越えてしまった)

 

最後の日は今までとは違う朝を迎えた。あと5km、1時間少々を残すだけだ。歓びの丘で前泊するのは慣わしであるかのようであった。朝8時にゆっくり目に起きて朝食を取り、5人でてくてくサンティアゴの町に降りてゆく。人が多く大きい町だ。古い街並みに入ると、にわかに土産物屋やホテルが賑やかに立ち並び、巡礼の最終地のような雰囲気が出てきた。せまい石畳の道を歩いていくと、ほどなく町に入って見えなくなっていた2本の塔が大きく見えて教会の敷地に入る。土曜日ということで特に観光客が多いらしく、仲間も驚いて「アヤヤヤ」とぞろぞろと続く観光客の列を見やる。最後の階段をアナ2人がイワンを両脇に抱えて下りると大きい広場に到着した。

イワン父子はその場で大の字に倒れて天を仰ぎ、周りの観光客の好奇の視線を集めた。サンティアゴ教会は昔よろしく苔を生やしながら青空に大きく仰ぎ見られる。とうとう中世以来の巡礼の地に着いたのだ。もう、次を目指して歩かなくていいのか!!
しばらく、写真を取り合うなどして喜びを味わって、巡礼者向けのオフィスへ向かう。建物に入る前に、とりあえずカフェ!12時に巡礼者向けのミサが始まるが、11時までにオフィスで手続きを終えていればいいのだそうだ。オフィスの窓口にしばらく並んで、いくつかのヒアリングを受けた後「巡礼証明書」をいただく。アンケートの協力も求められたが、他のルートを歩きたいか、など、カミノの発展への息込みがうかがえた。オフィスを出ると、ロドリゲスら巡礼中のなじみの顔も見えて互いにGOALをたたえあう。見ているだけで幸せな気分になれる彼とはそこでお別れだった。

少し遅れて聖堂に入ると、広い堂内は超満員であった。正面右のスペースに人ごみをかき分けて司教を映すモニターの下にたどり着いて、熱心に話を聞いているフアンの横でかしこまっていると、アナ2人が急に両側から肩をたたいて頷いた。司教が「今日着いた巡礼者を祝福します。マドリから2人、日本から1人・・・」と、僕のことを言ったのだそうだ。うーーん、まるでドラマだ。そしてミサは、ボタフメイロという、お香をもうもうと焚いた銀の壷を天井高くに持ち上げて教会の左右いっぱいに振り回す儀式に移り、境内の興奮は最高潮になって終わった。毎年7月12日にしか行わないのだそうだが、今年は何年にか1回の聖年ということで、目にすることができたのだという。

 煙を出して振り回される香壷

半ば呆然としながら、人が引いていくのに応じて聖堂の正面に移って祭壇を見ると、人間大の飛んでいる天使を両側に従えた、ヒンドゥー教会のようなエキゾチックな装飾であった。そして、正面に実に分かりやすく聖ヤコブ(サンティアゴ、フランス語でセイントジェーン)が鎮座ましていらした。

正面席にはベルトリがいた。昨日、サンティアゴ目前にして、途中で疲れて歩けなくなった老人巡礼を手前の宿まで戻って届け、取って返して今日20km歩いて、先ほど着いたばかりなのだという。なんという功徳! 

街中に出ると、さらに次々と巡礼仲間と再会を果たし、そのたびに抱擁となる。マリーやフランチェスコも。イビサのジェロニモ。指を介抱してくれたおばさんも。日本人のマイさんと大森さんの2人にも会った。久しぶりに話す日本語をスペイン人の友人たちは興味深そうに見守っている。おまえは本当に日本人なのだなと。そして、海鮮レストランで打ち上げをしてお別れ。今夜には家に帰れてしまう人もいるのだという。広場のケルト音楽が生演奏される中、手を振って分かれる。また、すぐ会えるような気がしながら。

 (カミノ 終了)

フィニステレ Cabo Fisterra
ベルトリが、巡礼に着いたその日に限り立派な市庁舎に泊まれるというので街外れにいったん出て荷を下ろし、久しぶりの大きい街をぶらついて楽しむ。ベルトリは、その昔多くの巡礼が訪れたという、フィニステーレ、地の果てという名の海に突き出る岬に行くべきだ、というので、もう、また瀟洒なホテルに泊まって身体を休めたいと思っていたが、もうひとがんばりすることにした。翌朝、8時に出て9時のバスに乗って、CAFEフィニステーレのある町を経て蒼い海の望める港町に行き着く。その昔、ポルトガルのロカ岬よりも、こちらのほうが西にあるとされていて地の果てということで皆来たという。マイペースのベルトリと別れて、あるカフェで荷物を預けてゆっくり朝食を取った。スペイン人と何日かいっしょにいるうちに彼らの日常のペースが移ってきたらしい。さて、そうして行き着いた「果て」は正面270度の展望が広がる絶景の地であった。灯台とクロスの他に取り立てて何もないが、しわくちゃにボロになった靴のモニュメントがあった。ところどころ焚き火の跡が見受けられるが、夏の間の巡礼がここで夜を過ごしたのだろうか、中世の人たちも同じようにしたのだろうか、何を語らったのだろうか。どこまでも蒼い海と空と浮かぶ雲。巡礼とは?中世当時は、人生を、命を賭けて何を見にやってきか?那智の補陀洛・浄土信仰と似たものがあるのか。日常から非日常。答えは風の中?

岬から昔の痕跡はないかと、多くの巡礼を苦しめたであろう刺々しい草を掻き分けながら山の稜線を辿ってみて町に戻る。港で、巡礼の象徴であるホタテ貝を売っているところがあったので記念にいくつか買い求め、プルポとチョビットでささやかに祝杯する。あの楽しい仲間がいないと寂しい。先に戻っていたベルトリを見つけ、サンティアゴまでバスで戻ってさよならする。昨日の盛大なゴールも良かったが、結局、今日静かに地の果てに行って来てよかった、と最後、彼女にも感謝を申し上げた。

 何人の巡礼を迎えたのか

サンティアゴにはその後、1日半滞在した。郵便局で各地から送った荷物を回収してまた荷物を重くし、少なからず張り詰めいたものが緩んでくるのか、体が重くなり、さらに抑えていたものが出てきたのか いろいろなことにイラついてきた。いつまでも聖なる巡礼者とはいられないようだ。旅行中では在るが日常が戻ってくる。カフェに行ってトーストとカフェとオレンジジュースをいただく。そう、これでだいぶ落ち着ける!

旧市街を歩いていても、聖堂に行っても、平日で観光客もちらほらしかいなくなり、もう見知った巡礼の顔は見られなくなっていた。巡礼当初に出会った、トマスやケビンはまだか。マルチナやアンナはまだブルゴス辺りかなあ。聖堂に行くと、到着したばかりであろう、何人かの身ぎたない巡礼が(2日前は自分がそうだったのだが)、ミサを敬虔に受けている。その表情には彼らの感動が見受けられる。そう、もう主役は彼らになり、髭を剃ってしまった僕はもう過去の巡礼になってしまった。ここもまた居心地がいいけれど早々に去らねばなるまい気がした。そう思うとあの巡礼の日々がとても尊いものとして蘇ってきた。土産屋でお守りやCDなど記念の品物を買い込み、レストランでビールにワインにカニにホタテと旺盛に食事してカミノを祝った。ワインとパンがカミノを導く。

 日が暮れる聖堂

 レイナ橋

 プルポ


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