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「異次元に立て」本当の生き方 [うちゆう宇宙の旅]

◇おととい、図書館で見つけた「異次元に立て」という本を、タイトルに惹かれて借りていたので見た。真言宗のお坊さんから高校生向け?のあらゆる宗派の仏教者による法話シリーズ。ちょっと物理関係も期待したのだけど、全くそんな本でなかった。19歳でヒマラヤを越えたときにお世話になった仏教大学の方にお会いして現代の宗教をおうかがいして以来、仏教に傾倒した時期があった。ここ数年も四国や高野山に出かけるなどしていて、はまるほどではないけど その思索の雰囲気がけっこう「好き」だ。◇でも法話って内容はいいとして前振りが長い。本論は「9人家族の夕飯に必要な米は4合でいい、薪は5本でいい。」という話から始められる。それから「今はガスの青い火を見ていて、昔の赤い火を思い出しながら思った。私たちは便利な世の中になってきてほんとうに幸せかどうか疑問に思うところまで来てしまった。やっぱりそしてこの次元から離れたところから振り返ってみる必要があるのではないか。」という話に発展。「ホーキングにより 膨大な宇宙を説明されているが、その時間のアイデアは仏教でも「未来永劫」(天女が袖で石をはらって擦り切れる話)で説明されていて、そうしたアイデアを身につけると心が安らぐではないか。長い時間を思って、次元を変えて立ってみたい。本当は皆自分の可能性を持っているのに、「まあいいや」と妥協を繰り返していると、それがその人の(当たり前のような)時間となって、ひいては自分の可能性を引き出せなくなる。*時間は悠々とあって「時量無限」だから、違った人生の味を見出してもらいたい。勉強するにしても その取り組み方が変わるはず。誰がやるからでなく、親から言われるでもなく、自分のためだけでなく、生きとし生けるもののために勉強してほしい。数学・英語で違った考え(文化)があるのを学び、芸術によって人間の心/心の悩みを解決することを学ぶ。次元を変えて立ってみるといろいろなことが見える。自分は大自然そのものだぞと実感して生きている人もいる。大人になることを背伸びし/焦りがちだが、あせらずにそうしたことを身につけてもらいたい。さて、このビデオ販売サイト(http://www.hojodo.com/contents/video/vnp.html)の説明部には、各宗なりのエッセンスと思われたので記録しておく。何を強調するかは教えを求める人たちの個性に応じたものであって、伝えたいことは似ていたり同じだったり=矛盾すること違うことは言っていないのではないか。歴史においていろいろな宗派が当時の必要に応じて、信ずるべきことに導こうとするわけだけど、現代と同じように人々が人生に悩んでいた様子がヴィヴィッドに伝わってくるようで感慨深くもある。

◇ いのちを育てる道<浄土真宗> 人は死んだらどこへ行くのだろうか、自分自身の存在はどういうものであるか。宗祖はそれらを明確に自覚した(信心決定)。この世に生まれた歓び、生きている意味とは。我身を知り、わが人生を知り、仏の教えを知ることで、真実を求めて生きる・偽者でない・本物の人生を求める生き方、怒りと腹立ち・嫉妬・そねみ・ねたみ・エゴイズムむきだしに生きている自分の姿を知らされる/私の「いのち」が育てられる。そして一層、豊かな人生がそこから開かれる。生きること・死ぬことの悩み・淋しさ・悲しさ・空しさ、人間は一人で自らの人生を生きていかなければならない、この厳しい現実を見つめる事によって本当の生き方が得られる。そして、念仏は我身を通して法蔵菩薩が呼びかけて下さる魂の叫び(こちらからどうか助けて下さいというのではなく、目に見えない仏様の方から自分に呼びかけていただく)、すなわち、仏の真実の魂の叫びにふれる世界である。
 
◇ 温かい大きな愛に包まれ育てられている<浄土宗> 「アミダ」は、生きている者も死者も、昆虫も花もすべてを平等に包みこむ大きな「無量のいのち」。夕日をじっと見つめていると私たちの心が洗われるような、そういう思いがする。大人でも子供でも夕日を見ていると心が洗われる。こういうものが自然の中に沢山有るはず。水でも植物でも自然のものをじっと見つめてみたい(マンダラの教え)。私たちは如来の胎児。温かい大きな愛に包まれ育てられている(温胎の時間)。万物を平等に慈しみ育む「大慈悲」の中に草や虫と共に生きている自分自身の姿に気付くと、その瞬間から、自分の心と「仏心」との間に温かく爽やかな和音の共鳴が始まる。
 
◇現代に生きよう<天台宗> 「共生」(仏教用語)は人間社会の生きる道であり、たくましい智恵である。そこに親子が共に手をたずさえて生きていく智恵、いのちの尊さ、いのちとの対話、助けあっていきること等がある。そして、一隅を照らして、人間が人間らしく生きること、これが人間の最高のあり方である。日々の生活の中で、本当に真実の人間としての生活を続けていくことに、我々の人生の目的があるのではないか。仏教ではこの真実の人間を発見した人としてお釈迦様を大きな目標にし、自分の道として歩もうとするだ。今自然環境の破壊からくる生態系の異変があるが、日本人の祖先達は、一木一草の中に仏を見てきた。我々を取りまいている全ての環境に仏が生きとし生きているのだ…その観点に立ってこそ豊かな心が育まれ、豊かな世界が創造できるはずだ。
 
◇生きたまま成仏<真言宗> 人間の理想の姿の追求とは、生きているうちに仏になろうということ(即身成仏)。あったかい言葉・仏とコミュニケーションをもてる仏と共通の言葉=真言、を唱えることに新しい感性・発見があるかもしれない。仏の光を戴いていつも輝いていよう。自分が今立っている次元から離れてものを見ると、将来にわたって、先の先まで続く考え方が身につくかもしれない。それを人生に生かして行こう。観音様に会いに行く旅は一度行くと必ず又行きたくなる旅だ。優しい観音様の顔を見て、心の幸せを感じる。辛い事や、悲しい時でも助けて下さる。その思い出、その歳月、その時期は人生の中で、いつまでもいつまでも輝いている幸せな旅である。

◇一筋の道<曹洞宗> この便利な世の中で、見たい事、聞きたい事、やりたい事は周囲に沢山ある。よほど心の手綱を引き締めてかからないと、自分の本来持っている天分を発揮する事が出来なくなる。そこで、自分にとって何が大事か、自分にとって何が不要なのか、無駄を省く努力をしなければならない。人間は一人では生きられない。困ったとき、知らない人からほんの少しでも親切にされると大変嬉しいが、親しい人からの親切にそれほど感じないのはなぜか(感じるべき?)。高齢者社会の今、“死”はすべての人の身近な問題となった。死とは何か。死をどう受けとめたらよいか。愛する者との死別に何が出来るか。人類永遠の問題・「死の受容」を“仏教の智恵”に学ぶ。“霊”という観念は、私とは何か、人間とは何か、命とは何かについて答えを与えようとするもの。たたり霊、背後霊、守護霊…感謝と喜びの正しい霊観念を持ちたいもの。

◇自分を大切にする 禅 <臨済宗> 忙しいという字は心が滅ぶと書く。見も心もボロボロになる。だから余り忙しがらない方がいい。禅の有難さ、面白さというのは、人間の生き方の中で本当に無事なんだ、どんな事があっても動じない、そういうものを掴んでいくところにある。人の心の中には、ちゃんとほとけさまの心が宿っていらして、そういうもう一人の尊いあなたに出会って、豊かな人間になるのが、直指人心、見性成仏(けんしょうじょうぶつ)ということ。禅のこころ無事是貴人:無事とは、正しくは執われのない心です。貴人は、ほとけさまのことで、無事是貴人とは、ものに執われず、さらさらと水の流れるように生きるのが、仏心の生活です。

◇自分を愛し、他人(敵)を愛す<日蓮宗> 国と国、人と人、私達の周りには避けがたい様々な争いがある。この争いの相手(敵)にこそ実は真の友がおり、師(先生)がいる(善知識)。自分を少しでも立派に、そして、もう少し人間らしく生きたい、という心は自分を愛する心にほかならないが。一方、世の為、人の為に尽くそうとする無辺の誠意とは他人を愛するという二つは仏教では「菩提心」という言葉で教えてくれている。この荒んだ現代の中で、人に認められたい・愛されたい・自由でありたい=私たちの欲望や物質的欲求を超えて、生きることの信念・生きていてよかった・生ってすばらしいという精神の尊厳・いのちの自由を、獲得することができるか。

戦艦「大和」が沈没して60年たち、呉で慰霊の献花がされたということだ。小学生の頃、太平洋戦争の戦記から各地の空襲の記録まで読み漁った。軍艦・戦闘機のプラモデルも良く作った(僕の狭い部屋は接着剤と塗料でいつもシンナー臭かった)。子供ながらその美しいデザインにも惹かれていた。我が家では弟との間で軍艦プラモデルの「建艦制限」なるものがあって一ケ月に戦艦/空母1隻、駆逐艦2隻などと決められたくらいだ。宇宙戦艦のほうも好きだったけど、身近に武蔵・榛名と乗り継いで最後に神風出撃を待機していたという叔父さんがいらしたからか、ファンタジーにはそれほど盛り上がらなかった。対して「菊水特攻」については何冊読んだろうか。特攻同様、まったく悲劇だ。そして平塚に越した際、乗組員でらした八杉康夫さんの講演があって聴講させていただいた。初めて乗艦した際、「絶対沈まない!と思っていた「不沈戦艦」が沈没し、重油が漂う波間で生死をさまよっていた時、「上官が「おまえは生きろ」と自分の浮き輪を投げてよこした。「国のために死ね」と言い続けてきた人だった。一方では蹴落とし合いながら救助ロープに群がる仲間がいた。「戦場は死に場所でなく、人が国に殺されるところだった」(新聞記事より)」と語られていた。「聖戦」の建前と実際を強く思い、そのリアリティに些少ながら残っていた戦争ロマンも消えた。あれから60年経ったということは一番若くいらした当時二十歳の方でさえ今80歳ということだ・・・亡くなられた方々の無念、残られた方々の辛さ・平和への願いに悖らぬよう心したい。

戦艦大和が沈んだ日―運命の四月七日

戦艦大和が沈んだ日―運命の四月七日

  • 作者: 八杉 康夫, 中川 秀彦, 中川 賢史朗
  • 出版社/メーカー: 牧歌舎
  • 発売日: 2005/03
  • メディア: 単行本


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