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カミノ③ パンプローナ ロスアルコス(2004/10/31-11/3) [うちゆう宇宙の旅]

<パンプローナへ>翌朝皆まだ寝静まっているが早々に抜け出して出発する。昨日のピレネー越え45kmのペースで何日かがんばれば全長800kmの道のりを中旬まで踏破できるのではないかと思っていたからだ。しばらく行くと、こちらに大きく手を振っている人がいる。まるで待ち合わせた知り合いのように。少なくともその親愛の示し方が日本人のようだったので「こんにちは」近づいてみると外国人のおば様だった。いっしょに歩き出すとテンポがよいので話しを聞くようになる。名前はマルティニ。日本に何度か仕事でもいらしているベルギー人で、退職した後、長年の夢であったカミノになんとブリュッセルの自宅から出発して2ヶ月・1200km!歩いてきたのだという。元バトミントンの国代表だったとも。長距離を歩いてきてさすがにペースがしっかりしていてこの僕?と同じくらい。ぬかるみの登り道で靴の底がわらじをはいたように泥が張り付いて滑りやすくなっても、ストックでそれを器用に落としながらテンポを崩さない。しばらくして天候がかわって小雨がぱらつき、寒くなってきたので遠慮気味のペースを止めて、僕が前に出て、パンプローナの城街に入った。まだ昼ゴロだったが、昨日の疲れだろうか身体はかなりしんどくなっていた。場内のルートが分かりにくく、雨の中を観光局を探してうろついていると、カタルーニャ人だという2人組が声をかけてきてくれた。もう、宿を決めるんだろ。夜のみに行こうぜという。あーーそれもいいかなかぁ!?と、今日は休むことにする。チェックインして2段ベッドに横になったが寝れない。腹がすいたらしい。表に出ると日曜日なのに人通りが少ない。電話ボックスがあったので、この旅行で初めて!日本に電話をかけると2回目で女房が出てしばらくぶりに声を聞いて少し元気が湧いた。牛追い祭りには牛が追われていくのだろう裏通りに入って角の店で定食を頼むとひととおりの料理に加えてワインが1本付いてきた。

一瞬なんだよ頼んでもないのにと思ったのだが、なんとこれがサービスである上に飲んだことがないくらい美味しいワイン。1本飲み干してしまっていい気分で戻ると、続々と到着してきた巡礼者で先ほどはがらがらだった部屋が込んでいて盛り上がっていた。スペイン人には週末のレジャーでもあるらしく、サンセバスチャン・ビルバオ・マジョルカ(アンナ)・サラマンカなど各地から集まり来ていた。

まもなく、VAMOS BEBER ということになって、僕はもう出来上がっていたのだが、再三の誘いを受けて外国人一人ながら皆とまた外へ。家族や友人からひんぱんに電話がかかってくる。僕が今日1ヶ月以上経って初めて電話をした話をしたら信じられないと言われた。カウンターの前にずらっと肉の燻製がたれ並ばされている店から始まって、3軒くらい店を換えながら飲み歩く。僕の名前はスペイン語でよっしーと呼ぶのだそうだ。皆各地方の話を、もちろんハポンを含めて楽しんだようだ。最後にバチャランというリキュールで閉めてフラフラになりながら10時ごろ帰る。と、そこに新たに到着している巡礼がいてしばらくしてまた飲みにいくという。さすがにこれは断った。ふーーー。

<レイナ橋へ> 朝、目覚めると、皆起き出してこれからカフェでゆっくり朝食をとろうよ、となど行っているので、いやいやこれはついていけない、先行くよと先に歩き出す。城内から抜け出るのに迷ったが何とか1本道に出ると目の前の山地を目指し、風力発電のプロペラが並ぶ峠を目指す。登りはまた滑りやすくて転んで手が間に合わず胸から着地して全身どろどろになるし、またその泥が粘質が高くて水で流しても拭いても落ちて辟易する。

車道沿いに立派なホテルを過ごして、あのポーからSOMPORTに抜ける大きな巡礼ルートも合わせる、プエンテデレイナ Puente la Reinaの町に入る。中心の教会は古いまま草が生え、町の出口に架かる橋も古臭く、中心を通る巡礼路も細くかび臭い。観光局だけミョウに新しいのだが。11月になると冬時間に移行したとかで店もやっていず、一番乗りになったユースに入ると、洗濯でもしたらどうか勧められ、かといって温水が出るわけでなかったがわずかな陽射しをあてにして洗濯した。庭で尺八でも、と吹いていると、くだんのカタルーニャ人が着いて再会を喜ぶ。歩いている途中に一度も会わなかったのは、おまえがバスで来たからだろうとからかわれたが、さらに笛の音を聞きつけてマルティニもやってきた。皆昨日あったばかりなのに旧知のような・・・ 夕方になりまた飲みに。多くは今夜帰宅して明日の月曜日には出勤するらしい。これがスペイン流なのか。もう一日何km歩く、というような話ではなくなった気がしてきた。この日もしたたか飲んで最後にバチャランを空けてユースに戻ると、カタルーニャ人はこれからバルセロナへ帰るとのこと。明日はほんとうに仕事なのか!?漢字を書いてあげたりして名残を惜しみ別れる。

<エステーリャへ>
中世には何百万人が過ぎたであろうレイナ橋を渡り出立。しばらくすると、マルティニに追いついて同行となる。いろいろなことを話した。日本は最初に訪れたときから、みるみる身長が伸びて地下鉄の中でどんどん周りが見えなくなったとか。急激にアメリカ化してしまったことが実に残念なんだとか。東京から京都へ、ただ移動するのでなく、松本・妻籠・名古屋と泊まり歩く知日家であった。LORCAの教会前で遅い朝食。最後の一つの味噌汁を味わってもらう。マルティニはフランス語のガイドブックを持っていて、ローマ時代の舗装道路や橋、その前のセルティック(先キリスト時代人)の墓と思われる岩とか説明してくれた。

ワインはこの地方(リオハ)の名産らしい。広いブドウ畑を過ぎ行きてエステーリャに到着する。昨日結局乾かなかった洗濯物を干して一服。町を周遊して帰ってくると後発者が到着。絵を描いていたサラマンカ人やオーストラリア人と歓談して夕方に。パスタを作ってくれるといわれたが外に食べに出て店に入るとマルティニがまるで待っていたかのように居た。風邪をひいたか体がだるく、明日途中からバスに乗ろうと思うと言うと最後の宴になった。料理が美味かったと褒めて帰り、帰ってこんどはスペイン人たちとワインを空けてスペイン語で歓談して別れを惜しむ。

<ロス・アルコス>
喉が痛くてヒリヒリして鼻水も止まらない。マルティニが道の脇からササと出てきてまたしてもしばらく同行する。どうやら用を足していたらしい。途中、前から歩いてきた男とフランス語で立ち話になり僕は前に行く。(後から聞いた話では一度ゴールしてからまたトゥールーズの自宅まで歩いて帰るらしい) これまでとちがって平坦な道が続くようになるが、それはそれで単調できつい。

その名になった岩峰を横に見て、ほどなくロス・アルコス Los Arcos に到着。ここでバスに乗ろう。喫茶して一服して表に出て川岸を歩くと、マルティニが最初あったときと同じように優雅に手を振っているのが見えて再会する。途中から一緒に来たというマリーというフランス人女性を紹介される。(その辺りから よく覚えているのだが)向かいにある教会の頭の上に巣があって、そこに見える白い鳥はアルザスにもいる珍しい鳥なんだと教えてくれた。

その後昼食を一緒にとって、しんみりとしながらいたが、そろそろバス停に行くよとお別れの抱擁をして立ち去った。去り際いろいろと声をかけてくれたがこちらは返すべき言葉が思いつかない。バス停近くのカフェで待っていると、カウンターの反対側にマジョルカのアンナが手を振っていたのでやはりお別れする。どこか元気のない娘だったがあんまし話を聞いてあげられなかった。また、良い巡礼をとなどいろいろ声をかけてくれたが、返す言葉が浮かんでこなくて困る。30分遅れてきたバスに乗りこむと、腕の太い運転手は見慣れない客に興味を示したか、「今日は暑いな」と声をかけてきた。「天気がいいですからね。」と答えると「でも、明日は寒くなるよ」と言い、アクセルを踏み込んでスピード上げた。そうか明日は寒いのか、今日でいったん切り上げてよかったかもしれないと連想していると、突然、行く手の右手の地平の遠くに、並行して歩く一人の巡礼の歩く姿が見えた。マルティニかマリーか!カメラワークのように後ろから前に移動しながら、最初小さなその姿が次第に大きくなっていくように見えた。顔上げて前向きにしっかりと歩いていた。その力強い姿に感動してしばらくボーっとした。次のバス停で、バスに乗る際に少し声を交わした出稼ぎインド人がバスを下りて、僕を探して手をかざしたのでこちらも手を上げて答えた。と、ダメを押されるようにますます胸がつまった。今回あまり感傷的になることはなかったのだが。これらの通りすがりの人たちに思いがけず何かを見せてもらったようだ。バスは、ログーニョまで歩けば1日半の距離を30分で走り、乗り継いで7時にブルゴスに着いた。近くの中華料理屋で牛肉料理をいただき、久しぶりのバスタブで温まって即寝。


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