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カミノ後伝 スペイン・ポルトガル(2004.11.16-12.4) [うちゆう宇宙の旅]

久しぶりに更新するとアクセスがあがって やりがいが出てきます。さて、年越しになった 「うちゆうの旅」も決着をつけなければなりません。カミノので会ったイワン父子や、今も連絡を取っているアナの家に泊めてもらいながら、大西洋岸をポルトガルに南下し、マドリッドとパリを経由して帰国したのですが 一気に書いてしまいましょう。

サンティアゴから鉄道で90分ほどでガリシア州 VIGOという大西洋岸の港町に移動。ホテルに入ってレストランで牡蠣やイワシを楽しんでいると、約束どおりイワンがやってきて飲みに出た。夜、彼の会社の上司と合流してカラオケバーへ、ホテルに歩いて帰ったのは朝4時(すごい時間割り)・・・駅近くの美術館で前衛作品を見る。

 ナンセンスと芸術の間のスリル?

その晩はイワンの家でフアンにワイナリーや畜舎を見せてもらったり、友人や妹カップルも集まってくれて手料理を馳走になったうえ泊めてもらった。翌朝、駅まで送ってもらい、メキシコの首飾りをもらって、3両編成の短い電車でポルトガルに発った。

 vigoの美しい夕焼

河を渡ってポルトガル。景色(田舎!)や人の感じ(小さい!)が目に見えて変わる。検札の車掌の挨拶もオブリガードに。VIANA DO CASTEROを観光して電車待ちをしていると、ホームでおじさんがグラスワインを渡してくれて早口で話しかけてきた。以前半年ほど勉強した片言のポルトガル語で相槌したけどぜんぜん聞き取れず自信喪失。ブラガに入ってボンジェスス Bom Jesus do Monteを観光。ここも巡礼地なのだとか。五感の泉に感心。さらに世界遺産らしいギマンライス Guimarães。気が付いてきたのだけど、どうもここの人たちは、日本人に似て、ありがとう・ごめんなさいをよく使う。ユーラシア大陸の端と端。郷愁・サウダージの国。つい共通点を探してしまう。翌日ポルトへ。坂に立つ大きい町。駅前から旅2回目の日本へのコール。サンフランシスコ教会 Igreja Monumento de São Francisco の豪華な祭壇にびっくりしたが、地下に降りると誰もいない天井の低いスペースに棺おけがずらりと並んでいて、その上には髑髏が置かれたりしていてまいった(勘弁してくれ~)。河沿いのレストランで昼食を楽しんで、名物のワイナリーSandeman か calemへ。外国語のツアーおいうことでスペイン語に入ったがやはりわからんかった。ポルトワインは強くて甘くて好みでないが、それとなくそう伝えたら「うまい」と言わせようとばかりに何種類も出してきてくれた。安宿に入ったばかりに当日のクラシコ(マドリVSバルサ)が入らずがっかり。そうか。ここは外国になったから、BSでないと入らないのだ!次の日もドゥエロ川岸でドンルイス1世橋Ponte Luís I を見ながら食事。今度はポルトガルポトフで旨い!

 ポルト

大学の町コインブラへ。さっそくローマ遺跡の町コニンブラガ Conímbrigaに。モザイクタイルが素晴らしい。噴水や温泉跡が優雅に並んでいる。床暖房のようなものもあったらしい。際を流れる河が切り込んでいるやはり要塞地形。そういえば仙台の青葉城も。ヨーロッパで最も古い大学のひとつ=コインブラも大学に上がる坂を中心に面白い。黒いマントを羽織った優秀な学生さん。バルでギターなどで盛り上がっている若者たち。いいな。今回は先日ボローニャにも行ったから、Universitas" (ウニベルシタス)を起源とした中世大学、近くのサマランカも行ってみたい。郷土料理というシャンファーナ(羊のワイン煮)をいただく。ニンニクが丸ごと一つ入っていた!

翌日ファティマへ。カミノ仲間でも話題にあがっていた「素晴らしい所」。教会までしばらく歩く広い敷地では多くのホテルが建設ラッシュ中。こんな現象は日本には伝えられていない。毎年の出現日には何百万人が世界中から集まるのだそうだ。広場には石畳を膝まづいて祈りながら進む信者の姿も。チベットの五体投地を思い出す。「人はなぜ祈るのか?」 ろうそくを手向ける場所があったので3本手向ける。Wax Museumにも。11時からのバジリカ(ミサ)に出席。100人ほど。1917年。ちょっと前の奇跡だからか、信者の数も多い。目撃者の3人の子供のうち2人は早逝している。昼食をとって、元気のいい運転手のバスで海岸のナザレへ。途中寄ったバターリャの町の大修道院を「俺んち(MINHA CASA)」と指差して皆を笑わせる。ナザレは漁師町。でも案内されたホテルのいい香りに誘われてチェックイン。黒い大きく広がるスカートをはいたおばさんたちが元気良い。イカとエイと野菜を煮込んだCaldeiradaは美味かった。翌朝、シティオ地区に上がって海岸線の展望を楽しみ、カルダスダライニャに出てセラミックショップで買い物をし、かわいい小さな古城の町オビドスへ。夜、レストラン ラミーロ(Restaurante A Ilustre Casa De Ramiro, Rua Porta do Vale, Óbidos)は客は僕一人、ボーイが入り口に丁重に出迎えに出てきたりして、これは高そう!と覚悟したが、暖炉の火で温まりながら、鴨メニューをとてもいいサービスでもてなしてくれた。ベストディナー。

とうとうコロンブスが船出したリスボンへ。洗濯やインターネット・電話とさすが首都だけあっていろいろ便利。日本人団体も沢山見受けられる。サンジョルジェ城(Castelo de S. Jorge)から見た夕陽はとてもきれいだった。なぜヨーロッパではこんなに綺麗なのか。空気?緯度?LUZスタジアムでベンフィカのUEFAリーグ戦を観戦。翌日はシントラで宮殿巡り。たまたま首相が遊びに来ていて王宮は入れなかった。ロカ岬で夕陽を見て戻り、有名な市電で坂道を昇ってバイロアルトで、ロカで会った日本人男性と食事。蛸・アンコウのリゾットが美味。宿は安宿だが、白いタイルを張り巡らして白づくしのバスが嬉しくてMDを聞きながら数時間お湯につかる。缶詰屋で水産缶詰を土産用に買い込み、午後は美術館巡り。夜はファド観賞、日本の演歌か?最終日、BEREMに向かう。銘菓デ・ナタをいただく。注文時すっかりポルトガル人で通ったみたいだ(後で驚かれた)。発見のモニュメント・修道院・美術館を巡る。金星の富の収集品がある。展示品の狩野派の南蛮屏風は国宝級だろう。夜行を待つ最後の夜、蟹を一ぱい頼むと木のとんかちが一緒に出てきた。冗談だろうと聞いたがそうでもないらしく叩いて食べた。ドイツ人に人気なのかドイツ人が多い店内でレアルのリーガの試合を中継していたのだが、フィーゴがするどい切り替えしからミドルシュートを決めるとウェイターたちの動きが止まって立ち尽くし、目が潤んだような気がした。

CHAMARTIN駅からマドリッドへ。アナが迎えに来て、家に連れて行ってくれて部屋を貸してくれた。ROTIE公園を散歩して、空港でカミノでやはり一緒に歩いたアナリスと合流してランチにステーキを食べる。アラブ式に骨ごとかぶりつくらしい。夜再度街に繰り出して10年前に歩いたであろうソルや王宮・マヨール広場を巡ってフラメンコを観賞。アナとの楽しい朝食の後、大航海時代の至宝を集める王宮を観覧して、ソルでアナと合流してレバー料理でランチ。ゲイの街では横断歩道の標識も2人が手を繋いでいる!文人が集まったという上品でクラシカルなカフェでお茶。弁当(ポカリージョ)を持たせてもらって駅に送ってもらう。アナには本当によくしてもらった。

アフリカ人・南米人と同室の夜行でパリへ。初パリ。スペイン語でも華(florence)の都というそうだ。あー、寄るべきでなかったかも。何もかも華やかで今までの宝石のような思い出がかき消えてしまうような・・・ノートルダム寺院・エッフェル塔ともすばらしい。中国人がいっぱい。ぎゃーぎゃーとしていて集中してお祈りできないフランス人がかわいそう。凱旋門からシャンゼリゼ通りを歩く。ここでは日本人が多い。特に女性は皆とても鋭い目つきをしている。面白くて20km歩いたかも。次の日はルーブルを集中観覧。サモトラのニケからモナリザまで撮影・デッサン、フリー状態。「フラッシュを   浴びるほど にやけるモナリザかな」 世界の美の中心のセンターが此処にあるわけが分かった気がした。一日足を棒にして歩いた。そして最後の夜。とうとう帰るのか。長かったような短かったような。なかなか寝付けず、ぼうっとしたまま朝起きだしてCDG空港に出て、昼の便に乗り、マレーシアで乗り換えて次の日の夕方帰国。12月の日本も温暖で明るかった。悪いところではない、と思った。

  マグダラのマリア(ルーブル) ダビンチコードを思い出す


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