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おじさんの見舞い 友人遺稿 [話しておきたい]

◇25日-27日 土曜日 女房が仕事とはいえ昼休みが1時間半あるということで、久しぶりに近くの上品で美味しいイタリアン・イゾラに行ってランチしました。いさきのカルパッチョもケソンのソースが絶妙で、ピッツアもトマトが新鮮で好いし、何時来ても楽しませてもらいますが、心配になるほどお客さんが少ない。もったいないなぁ。その後、麦でお米やオレンジをいただきましたが、そこで初めて女房を紹介しました。1年も近所でお世話になっていてなにかこそばゆい感じです。女房はそのまま夕方まで仕事でそのまま都内に友人の集まりに出席して深夜帰宅。

◇日曜日 末期がんのおじさんを見舞いに行きました。終戦時、神風特攻隊の出撃待ちをしていたと聞く元海軍兵です。アウトドア好き。何百キロも離れた福島の親戚の家に自転車をこいで現れて皆を驚愕させたこともあります。僕への影響も大きかったにちがいありません。僕のみならず親戚の従兄弟たちは皆 おじさんにかわいがってもらい、会えばいつも面白いことを話してくれたり、してくれたり楽しませてくれていました。今日も、(寝てばかりと思ったのですが)会うなり、「髭を生やしたのだね。」、「どこの俳優が来たかと思った」とかニコニコ声をかけていただきました。しかし、会ったときにかかえた肩の感じで 痩せてしまって骨が浮き出してるのがいやでもわかりました。また、時間と共にだんだん辛そうな様子が見えて、楽しい話題をしているのにこちらも悲しくなり、ちょっと尺八を吹かせてもらって、けっきょく1時間くらいでおいとましました。「また従兄弟たちみんなで集まりたいなぁ」「(お見せした写真の)サグラダファミリア行きたかったなぁ。」と仰います。「また集まりましょう、また来ます。」と応えます。名残惜しそうにして見送ってくれました。もう、言葉がありません。いつも楽しかった人が、ときおり固い表情で伏せ目がちに下の一点を見つめているのを目にすると本当に辛いものでした。帰ってきて読んだ般若心経の本に、堪えがたく悲しいときにお経を読みきる強さのことがまさに「読経」だ、とありましたが、そうかもしれません。不生不滅など、書いてあることがほんとうで、それでほんとうに乗り越えられるのでしょうか、いつも案じていることがまさに試されている感じです。

◇夜それから、これもそういう機会かと思って、若くして逝った友人たいら君の遺稿も読み返しました。面白い。サイクリング好きであったところとか叔父さんにも似ているかもしれない。彼は言葉に伝えられないものをいかに伝達するか心をくだいていたのですが、実際、年月を越えて伝えてくるのは、文字に残した彼の言葉でした、それは彼の伝えようとしたものの不完全なものであったかもしれませんが、お母さんがないしょで取り置きしていて、こうして今に伝わったのです。完全でなくても、人がらを知る人や読む人が読めば、行間に伝わってくるものがあるのだと思います。違う言い方をすれば、その伝えたいものに何か思いほとばしっていれば、詩のように、図らずも結局伝わってくるものであるのでしょう。彼はまた、「どんなに他人にわかりにくい表現であってもいいから、自分なりの表現でなければ、それを表現する意味はありません」と言っています。彼が高校生のときの日記からです。


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