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夫婦でネパール② ドゥンチェのブッダ君の話 [話しておきたい]

◇週末の魅力的ないくつかの予定を断って家で養生していましたが、案の定、ネパールから持ち帰ってきたらしい風邪(あるいはなんかの感染症)で発熱して寝込んでしまい、あっという間に帰国から1週間がたってしまいました。そろそろ働くモードに入らないといけません。週末に高校山岳部の創部50周年記念の文集が届きました。読み出すと、会ったことがないほど年が離れた先輩や後輩が、山登りを通して同じような経験・思いをしているのがあって、読み止まらなくなり、一昨日などは3時まで起きていてしまい、今はけっこう目も痛いです。

 夜が明けてしまう~(プーンヒル)

◇ネパールの続き。実は初日の関空~上海経由便は10時間も遅れてしまい 、カトマンズに到着したのは夜中の2時くらいだったのですが、Pさんはお兄さんに頼んでまでして車で迎えに着てくれていて、さらに朝一番のバスに送っていってくれました。おかげで予定どおり2日目の夕方にはドゥンチェにまで至りました。まぁ、これも途中、大雨の地すべりによって道路が寸断されていて途中バスを降りて2時間も歩かされたわけですが。そして、その町で大勢のホテルの客引きの一人として登場したのが「ブッダ」君でした。いちばん小さいのに流暢な英語を話していかにも聡明そうでした。名を聞けば、「ブッダ」の名ということ。からかわれたかと思いましたが、ルンビニ(近年はたいへんな発展を遂げているとか)のある国ですから、そういうこともあるかもしれないのですが、それにしても大胆な命名ですね。名を呼ぶたびにちょっと不思議な感じになりました。トレッキングは雨のために(ヒルにもたくさん吸われて)途中から早々に下山してきたのですが、彼のおかげで楽しい数日を過ごしました。聞けば11歳というのでその割には体が小さく見えました。いろいろな国の人と接しているので、英語のみならず、歴史や他国の事情にも詳しいようで、コンピュータを勉強して、将来はガイドになりたいんだそうです。もうすぐお兄さんがFAXを買うから僕のところにも送りたい、と言うので、僕のカードをあげるとたいへん喜んでくれましたが、E-Mailについては悲しいかな、この小さい町にはネットカフェもないし、パソコンも手に入れにくそうです。ただ、何年かすればやり取りできるようになるかもしれませんが。おじさんの英語と拮抗して頭の回転良く話す、このように聡明な11歳(小5)が日本にいるのかなと思ってしまいました。もし、かの地に行くことがあったら、アンナプルナホテルに彼を訪ねてみてください。

  尺八を吹いてもらったりしました

◇後半は、山賊が出るだのマオイストが跋扈しているだのと、散々脅された、アンナプルナ山塊を歩きましたが、シーズン前、かつダサイン前だからか静かなもので、ほとんどの小屋で貸しきり状況でした。日本の夏の山小屋を体験した後だったので天国のようです。さらに、あんまり景気は良くないのでしょうが、小屋の料金は定額になっているにも関わらず設備を良くして競っているのだそうで、その恩恵に浴して温水シャワーなどを使うことができました。台所で沸かしたお湯を下の階のタンクに流し落とすという仕組みのもの。また、電柱が立って電気があるはずのところは停電していて、電気のないところは太陽発電の設備があるので電気が使えたりしました。ただ、コールドドリンクがコーラやファンタの類だけというのは日本人にはきついですね。今どきあんな甘い飲み物はなかなか飲めません。オフシーズンでも夏休み時期でなくても、そこそこトレッカーはいましたから、いるところにはいるものです。意外にフランス人と中国人に多く会った気がしました。

 8千メートル峰のダウラギリ

◇トレッキングの最中にソローの「森の生活」を読みました。ソローという人は初め、70年代、少なくとも戦後、今世紀の人かと思って読み始めたら、どうもドルの価値が高いような(?)。確認してみると、1830年代なんだそうです。古さの中に発想の新しさがあって驚かされました。そして、なぜ、西側の人間にネパールのトレッキングが人気があるかということがわかったような気がします。それはどうも「原始的な生活」が営まれているのを見てほっとするのではないでしょうか。物見遊山的なこともあるにせよ、牛糞・薪を燃やし、付近の畑の野菜、庭の家畜の卵・肉を食らい、牛乳を温める。夜はろうそくやランプ、ストーブを囲んで家族・仲間と酒を飲んで話して過ごし、日の出ととも起きる。テレビがない。天気予報もない。明日は雨が降るかもしれない。降らないかもしれない。そんな、したくてももうできない(かもしれない・であろう)素朴な生活。物が少ないからあるものを工夫して使う。自然に対して傲慢でなく馴染んでいるから、どこか安心している生活。ソローの「時計が何時を示そうと、人々の態度や労働がどうあろうと、それは問題にはならず、僕が目覚めているのが朝であり、ぼくのなかに夜明けがある。」 生活。膨らましているかもしれませんが、自然の中で自分や自分の周りの人と十分に向き合う(合わざるをえない)ということで、よく似てはいないでしょうか。僕はもちろん人間関係というのは是非に取り持っていかなくてはならない必須のものと確信していますが、かといってそれだけに一生のうちの多くの時間を終始・専念させられているのはどうかと思います。日本の社会はじつに複雑ながら濃密過ぎる人付き合いをもとに成立させられているのです(これは本当の意味の社会主義。悪く言えば全体主義。もしかしたら相互監視社会。)。もっと言ってしまえば、自分の好きでない人・興味のない人とも無理やり付き合わなければいけない社会(社会性ということである程度は求められるにしても程度に問題がある。つまり、そりの合わないお互いにとって不幸なのではないでしょうか)。Jレノンは「Nothing's gonna change my world」と唄いましたが、今生じているニートという問題は、日本人が個人主義、それから個人と他人との程よい距離を考えるのに、いいきっかけになればいいのになと思っています。

森の生活

森の生活

  • 作者: 本山 賢司, ヘンリー・D. ソロー
  • 出版社/メーカー: 宝島社 〇ところどころに胸のすく表現が多い。ただ、ちょっと読みにくい。
  • 発売日: 2005/12  メディア: 単行本

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