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「スピリチュアル夢百科」 [本のこと]

◇衆議院選挙、自民圧勝、「地滑り的勝利」。党内ではこの数年でいつのまにか主客がいれかわって、守旧派にとってはまさに「うそから出たまこと」になってしまった。(もっと適した用語があるかな) 「無血革命」完了?相当優秀なブレーンが控えているんだなぁ。民主は頼りなくてスカンをくってしまったのかな。比例もいいけど、接戦の末に敗れた候補の得票数が議席数に活かされるシステムはないんですかね。◇ベルギーの中年女性とSKYPE。プロフィールに英語って書いてあるのに・ぜんぜん英語しゃべれないのに、ちょっとだけ通じるスペイン語でがんばって話そうとしている。ウェディングドレスの写真を載せているのに、いまは独り者のらしい、強引だなぁ。SKYPE「ON」にしていると世界中のヒマ人からかかってくるぞ。 

◆「スピリチュアル夢百科」 江原 啓之著 肉体と霊体を結ぶシルバーコード、波長の高さに行くところが決まるという夢の階層というアイデアなどのほかには夢に関して特に新しくはないが、そこは第一人者、とてもわかりやすい。思い癖を改め、今の心境を知り、メッセージを生かす。夢日記書いておきたい3要素①夢の内容②自己分析③今の自分の心境 記録して忘れるが後で読み返すと意味が分かることも。

スピリチュアル夢百科―“たましい”を幸福に導く

スピリチュアル夢百科―“たましい”を幸福に導く

  • 作者: 江原 啓之
  • 出版社/メーカー: 主婦と生活社
  • 発売日: 2004/05
  • メディア: 単行本

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常念岳-蝶ケ岳へ縦走 「霊学」「お祓い」 [本のこと]

常念岳から蝶ケ岳へ縦走とも展望よかった。久しぶり。やっぱしアルプス。9月に入って空気が涼しげで、また眺望が良い。あー、槍穂の魅力的な稜線美。初日、雷に脅かされたが、その後は涼しく・明るい・楽しい・快心の山行であった。きつかったけど、昔の合宿くらい気合がはいった。下山してからざーっと降ってきた。興味深い人たちとの出会いもあった。

◇朝、宿題をやっていたら昨夜に引き続いてC君からSkypeで呼び出されておしゃべり。18歳、188cm。いやいやたいへん。◇さて、大雨と無降水日の二極化傾向が進んでいるんだそうだ(気象研究所調査)。1日に100ミリ以上の大雨の日が100年前に比べて約25%増えて、集中豪雨による洪水や土砂災害の増加が懸念される。「大雨は温暖化で大気の水蒸気量が増え、積乱雲などの雲ができやすくなったことが一因」とか。というわけで、これから台風がやってくるが、明日からの仕事がぽしゃってしまった。まいいか。

江原さんの本を読み始めた。読みやすいです。明るい心霊学!?
◆「人はなぜ生まれいかに生きるのか―新装版・自分のための「霊学」のすすめ」 江原 啓之 (著) ◎ :「病は気から」の本当の意味は「病は霊から」である。霊を癒すこと=霊癒をおこなうヒーラーが啓示する、スピリチュアルな生き方をもっと深く学ぶための本。1995年 第1部 私の心霊体験(心霊現象に苦悩する日々 霊能者への道) 行者の霊 シルバーパーチの霊訓 正しい心霊知識の広汎 霊的人生観(すなわち幸福の原理)は宗教・道徳ではわかりにくい。それらは人工なのだから正しい答えとは限らない。教訓・因習と真理は違う。未科学。第2部 魂を救済する「心霊真説」 生きる 真の幸福は心の原理(愛 利他 奉仕)にある。階層・波長の法則。高い想念を持ち、魂を磨く。守護霊はあなたを見捨てない 神は自然霊の中の最高位・霊格。フェアリー(妖精)、森羅万象。天照大神。4つの守護霊、主護・指導・支配・補助各霊。これが「霊障」の実態だ 憑依 波長。全ての霊は神の分身だから恐れてはいけない。安易な霊能開発は危険。霊性の進化と真実を学び、自覚して、霊性を向上させることが大事。霊的能力と霊格は比例しない。 第3部 愛へのめざめ(苦しみあればこそ 霊界に個はない。美しい景色・神性が霊の本質。あなたが世界を変える 「自らまいた種は自ら刈り取る」住所・国における波長。抄録 心霊研究大国・英国に学ぶ SPR 心霊研究協会 1848年米 アカデミックな心霊学問を。キリスト教徒でありながら霊魂を認める英国人が多い。古い建物に残る自縛霊。地震。鎌倉・京都。自然霊の分霊による国際化!東洋西洋で文化があるのか? 浅野和三郎氏・佐藤永郎氏、近藤千雄氏 変えられない宿命と変えられる運命。「人生は苦難への感謝」⇒むかし、宜保愛子氏の自伝を読んで周囲にあきれられていた僕だが、その本の内容・感じに似ている。

人はなぜ生まれいかに生きるのか―新装版・自分のための「霊学」のすすめ

人はなぜ生まれいかに生きるのか―新装版・自分のための「霊学」のすすめ

  • 作者: 江原 啓之
  • 出版社/メーカー: ハート出版
  • 発売日: 2001/10
  • メディア: 単行本

「スピリチュアルプチお祓いブック」江原 啓之 (著) ○ 2003年:仕事がうまくいかない、イヤなことが続く、よく眠れない、体調がすぐれない…。そんな日々の「プチ・トラブル」を乗り切るオリジナルお祓い術が満載 1 幸運体質になるお祓い 2 仕事が上手くいくお祓い 「送信」が済んだら「返信」を静かに待つ。 3 恋愛に効くお祓い 4 健康になるお祓い 丹田は肉体と幽体のつなぎ目の要なので、両手を当てて眠るとよい。水晶と枕。背中の温湿布。5 人間関係がよくなるお祓い 物の貸し借り 手作り料理 写真への言霊 6 日常生活に役立つお祓い お札を額に 一人旅 換気・音霊・香り 7 スピリチュアル・ライフに関するお祓い 8 お祓いのやり方&スピリチュアル・テスト ⇒江原さんの本ではこの本がいちばん実用的ということで人気があるようだ。

スピリチュアルプチお祓いブック

スピリチュアルプチお祓いブック

  • 作者: 江原 啓之
  • 出版社/メーカー: マガジンハウス
  • 発売日: 2003/11
  • メディア: 単行本


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「日本山岳紀行」「ヘルシーウォーキング」 [本のこと]

◇Skypeにコンタクト要求が来て、ロサンゼルスの青年とチャットした。中国人のお姉さんからも来たがこちらは断ってしまった。なかなか大変だなあ。明日からはちょっと長ーい活動期間になるんである。

◇「日本山岳紀行―ドイツ人が見た明治末の信州」  W.シュタイニッツァー (著), 安藤 勉 1992年 :W.ウェストンの「日本アルプスの登山と探検」に心動かされた著者がペンとカメラでとらえた90年前の信州周辺の山と街と人々の姿。◎ 1911年、明治に来日した厭世ドイツ人の山登り。文明化する前の日本(主に信州)での山登りを通して、日本の山・人への愛憎がよくみてとれる。思えばそうした文明人の視点に立てる日本人は100年前にいなかったから、その高びーな態度はあんましいただけないが、写真といい、貴重ーな見聞録である。日光・草津・長野・戸隠・針の木越え・甲府・上高地・立山・富山・木曽・富士川など、短気だが健脚なようで、よく歩いている。 

(↑お釜も見たかな?) 不衛生な小川・清水、冷やさないビール、たくさんの患者が集団湯治、怠惰・寝坊・のんびりさ・キセル、人夫・おちゃだい(チップ)、ノミだらけの宿・小屋、時間を守らないボーイ・電車、情報の不確かさなど、今となってはどこの国のことかと思うが、たった100年前、日本はそうだったのだろう(よくもまぁこの短期に退治したものだ。なんという変わり様)。プライドの高さ、言行不一致(曖昧さ)、厳しい自然災害、自然と調和・一体化する様式美(神社・庭園~妖精の国、感性生活)、霊峰への信仰登山・想像を絶する巡礼好き、夜・宴会のバカ騒ぎは変わらない。どんな所にも蚊帳がある、なんてのが評価されている。当時は日本旅行案内(マレー社)、ウェストン、J・J・ラインの研究が参考になっていたらしい。最後に「日本山岳の旅はたしかに神経がすり減る緊張の連続であったが、それらを巡り歩いた日々は、生涯のいかなる時より、汲めども尽きぬ自然との心からなる交歓ができた。ヨーロッパ文明への恐怖の念に襲われるとき、心中ひそかに日本の山に逃れ、巡り歩いた日々を追想したい。」 こういうの、面白いなぁ~、僕は昨年、ドイツは行かなかったが、スイス・フランス・チロル・イタリアと歩いたから、コミュニケーションの難しさも含めて、そういう面白さがわかるし共感するなぁ。

日本山岳紀行―ドイツ人が見た明治末の信州

日本山岳紀行―ドイツ人が見た明治末の信州

  • 作者: 安藤 勉, W.シュタイニッツァー
  • 出版社/メーカー: 信濃毎日新聞社
  • 発売日: 1992/02
  • メディア: 単行本
 
◇「ヘルシー・ウォーキング―歩く健康法」  女子栄養大学出版部 1987年 ○ 第1章 ヘルシー・ウォーキング(ジョギングか?ウォーキングか?ウォーキングで心臓・肺を強くしよう) 心臓の弱い運転手、ポンプ、冠動脈。心疾患は日本人死因の第2位。都会の内勤・事務職に多い!運動の習慣がないと60歳で急激に死亡率が高まる。離島のお年寄りの長生き。1日1万歩が最低限必要だがサラリーマンは5000歩。第2章 ハウツウ・ウォーキング(正しい姿勢でウォーキング 全身の筋肉を鍛えよう) 前後のストレッチングを必ずやって、筋肉を暖め、膝や足首の関節を柔軟にしてエアロビクス効果を高める。クーリングダウンは、固くしこって痛みを残さないようにほぐす。第3章 ウォーカーのための食事学(食生活をチェックしよう成人病別食事療法のポイント) 水は体温調節に必要。少量ずつ。第4章 ウォーキングを楽しもう(森林浴―緑のシャワーを浴びよう! 競歩の魅力―歩きの限界を極める!) 1909年 歩けオリンピック。第5章 ウォーキング健康法(老化は脚からやってくる 成人病を招く三大危険因子) 脚は第2の心臓、腰から下に筋肉の2/3が集中する。脳も活発化する。血管効果や肥満を予防。栄養過多が高血糖や高脂血に。動脈硬化・狭心症。ストレス・心拍数・ツボ。第6章 シェイプアップ・ウォーキング(あなたの肥満度は? 暮らしの中のエクササイズ) エネルギー収支 第7章 同時代ウォーキング―(散歩浪漫 ) 第8章 ウォーキングガイド
ヘルシー・ウォーキング―歩く健康法

ヘルシー・ウォーキング―歩く健康法

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 女子栄養大学出版部
  • 発売日: 1987/12
  • メディア: 単行本

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手塚治虫の「ブッダ」、「華厳の思想」 [本のこと]

◇今日は週末のツアー準備で新宿へ。山道具をいささか購入。すわみベルトがない。ところで、昨日と今日と、本屋の立ち読みで手塚治虫の「ブッダ」を読んでしまった。脚色が多分にあるが、人間ブッダが悩んだり失望しながらも、ブラフマンに促されながら衆生にその教えを説いていく様子・情景がたいへんわかりやすく描かれている。ルンビニ・パトナといった辺りの思い出が蘇る。まだこれからも竹林精舎・祇園精舎など一度訪れてみたいものだ。最後のシーン(引用):ブッダ 「…スバッダどの…この…世には三つ……」 「あなたがたが心から…信じて 疑っては…ならぬものがある……」スバッダ 「はい」ブッダ 「仏」「法」「僧」「この三つじゃ…」スバッダ 「ブッ…ポウ…ソ…?」ブッダ 「"仏"…は…天の教え "法"は…し…真理の…教え そして…"僧"は…正しい人々の集いのこと…」「この三つに従い……」 「信じ……犯すことが…なければ」「い…いつかさとりを持てる…」スバッダ 「あ…り…がとうございます!!」

 

ブッダ (第12巻)

ブッダ (第12巻)

  • 作者: 手塚 治虫
  • 出版社/メーカー: 潮出版社
  • 発売日: 1993/02
  • メディア: 文庫

◇「華厳の思想」 鎌田 茂雄 (著) 1988年 ○ 読むのは2度目。少し理解が進んだか?「奈良東大寺の大仏に象徴される華厳の思想的理念は、日本文化のなかに今もなお、広く深く生きつづけている。茶の湯において、小さな茶室でおこなわれる喫茶の行為のなかに無限の宇宙の広がりを見るのが茶道の生命であり、一輪の切り花のなかに永遠の相を見るのが華道の精神である。限りあるもの、小さなもののなかに、無限なるもの、大いなるものを見ようとする考え方こそ華厳思想の本質。」 ⇒序章 日本文化と『華厳経』(『華厳経』は和田ホータン近くで編纂された。荘子の斉物論との融合。万物斉同(道枢)。日本人の自然観のなかに定着した華厳思想 空海は華厳の上に密教哲学を置いた。一輪の野花に自然生命を感得する。新しい世界観としての華厳思想 中国近代思想 康有為 譚嗣同) タオ自然学 カプラ 現代素粒子物理学)融通無げ。アジア文化圏。 第1章 『華厳経』とは何か―『華厳経』の構成と思想、まずは感謝を持って生きること。禅定によって第六現前地まで般若の知恵を完成し、第七からは利他 知性は一番浅く、意思がより深い。53の善知識、いろんな人に遭遇してその人の人生に持っている何かいいことを一つずつ求める。脱華厳で、唐の辺境広東省から興った禅宗。性起。明恵、意思の集中(浄土宗)と無心の関係。虚妄。本心(無心)は水、思いつめて氷り固まったものが妄心(有心、役に立たない・迷い 沢庵)。法相宗は妄心・煩悩を説き、華厳宗は理想態から浄心を説く。人間生命活動の本源・阿頼耶識。一瞬一瞬に繰り返される薫習⇒種子⇒現行。尊ぶべき身命(道元 信は道の元) 発心・正覚。 第2章 華厳宗の成立(華厳宗の開祖・杜順 華厳教学の創始者・智儼 華厳宗の大成者・法蔵 華厳と禅との融合・澄観 『円覚経』の大研究者・宗密 気 cf.日本仏教の根幹・法相宗) 第3章 華厳思想の核心 釈迦の真意は?天台智ぎの法華経による経典統一の試み 小乗と大乗 大乗始教と大乗終教 大乗頓教―一念不生を仏(物)となす 維摩の一「黙」、ニヒリズムから実存主義への転換 実存の歓喜 円教 大乗円教―華厳思想の至境 宮本武蔵の五輪書は一多相即、無げ門  相入 四種の真理の領域―四種法界 竜樹の十二門論 空=縁起=Retativity(相関性) 事事無げ法界 あらゆる世の中に存在している意志の力 施餓鬼 針供養。登山する人は山を愛して愛し抜いて山の中で死ねばいい、山は私と思えばよい。理法界では、ありとあらゆるものが溶け合っていることを知る。人間の実存の中で一番確実なのは意志の領域である。情意的自己。幽。華厳の観法  事事無げ法界 は霊的存在 そこに進むのが華厳三昧(大悲) 森羅万象を表す海印三昧(大智) さらに三遍。四徳・五止・六観 第4章 華厳思想の流れ(新羅の華厳  義湘の入唐 日本の華厳 東大寺系と高山寺系 明恵 自律の精神(あるべきよう)と自由の精神(徒者)の調和 華厳とイコールに結合した「遼」の密教。

華厳の思想

華厳の思想

  • 作者: 鎌田 茂雄
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 1988/05
  • メディア: 文庫

◇「図説「理趣経」入門―密教の核心」 1997年 大栗 道栄 (著)  :快楽は悟りを妨げるか? 性的表現を含んだために秘教とされた大楽の教えを、密教行者の立場から明快、平易に解説。知りたくても教えてもらえなかった「理趣経」の意味と真意。 1 密教の世界(密教の仏さま 密教経典と曼荼羅 理趣経のあらまし 金剛(ダイヤモンド)薩埵 無限に向上を 小欲を大欲に) 2 理趣経の教え(勧請 序説 手塚治虫と密教、初段 大乗の法門 逝く往く 即身成仏 四障、二段 覚証の法門 四平等、三段 降伏の法門 三毒と四苦八苦 愛の暴力、四段 観照の法門  泥水の蓮、五段 富の法門 大楽に至る四つの施し 灌頂 義理 法 資生、六段 実働の法門 仏の印 十善戒 三宝、七段 転字輪の法門  阿字観 空・無相・無願、八段 入大輪の法門 すべて阿字におさまる真言、九段 供養の法門 六種供養と六波羅蜜行、 十段 ふん怒の法門   小ふん怒を大 ふん怒へ 十一段 普集の法門 平等性、十二段 有情の法門 加持、十三段  諸母天の法門、十四段 兄弟の法門 ヒンドゥー三大神、十五段 姉妹の法門 烏摩の侍女たち、十六段 各具の法門 一即一切 菩薩行、十七段 深秘の法門 五秘密章 欲・触・愛・慢、金剛薩た。百字のげ 流通(るづう) 合殺 回向。おわりに 一口で言えば、この世は平等で清浄。仏のはたらき・四智 菩提心という悟りの心の金剛部、布施という施しの心の宝部、智恵という道理を知る心の蓮華部、精進という実践のこころの羯摩部。教相(真言・印の意味を知る)と事相(行をすること)は車の両輪の如し 大菩薩峠 「下は衆生を教化する」とは施しの心と道理を知る心で実践すること。⇒うーん、図説でわかりやすいはずなのだが、まだよくわからない。生体のエネルギーの持って行き方なんだろうけど。

図説「理趣経」入門―密教の核心

図説「理趣経」入門―密教の核心

  • 作者: 大栗 道栄
  • 出版社/メーカー: 鈴木出版
  • 発売日: 1997/07
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)


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地球温暖化 「積極力がつく本」 [本のこと]

地球温暖化によって、降水量が日本を含む中・高緯度地域などで増え、大気中の水蒸気が増えることで豪雨が広い地域で激しさを増すことになってくるのだそうだ。山谷の深い日本で、台風や豪雨の相次ぐ来襲は、当初予想の強度を越えて各インフラを破壊し、地震と相俟って甚大な影響を及ぼすことは、昨年の新潟で如実であった。北米の中南部や中国南部、地中海周辺などは、一時期に雨が集中するため水害とともに渇水の危険も高まるとか。アメリカで去年の史上最大「アイバン」に引き続きハリケーン「カトリーナ」が猛威を奮ったが、それでも京都議定書の批准を拒み続けるんだろうか?いったい米国民にはそうした事情が周知されているんだろうか?◇イチロー、対ヤンキース戦、昨日の先頭打者ホームランに引き続き3ラン。その後2三振したが体の回転と強振を見ると、自分のプレースタイルを曲げて?までファンの期待を一身に背負って立っている様子。チームが低迷する中でなんたるアグレッシブさとタフさ!

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(そんな天才の活躍賛辞の後に恐縮だが・・・)◇「積極力がつく本」  1981年 ―日ごろの生活をちょっと変える深層心理テクニック △ まぁまぁ (あの盲点力の)多湖 輝 (著) 積極になれないのは ①第1歩を踏み出す気力がない型、②うじうじ型、③悲観主義型、④自信欠如型 ⑤疲労・倦怠型の独立あるいは混在型 1スタート 朝のテーマ曲 仕事環境への切り替えテーマの書き込み 他人の名前 2好きこそ 自分だけのもの・言語・専門 情報 3新体験  慣れは精神的老化 新しい店 。 4外観・動作 背筋 足早 5先ずれば 他人の期待を感じて先取り 6一歩目 人への声がけ 近況 身につけるものへの関心。 7話し方  言葉を返す 脱「どうも」 他人の意見を借りてでも ときには感情を出して 8準備 連絡方法 情報入手 写真 数字 論旨の穴チェック 表情 次善の策。 9目標 一日一事  10我田 食事 自宅 年下 自分の話題 。 11マイナス 失敗の分析、ネタ化。脱却。出来た分の評価(アメリカ人)。 12他人 他人の意見・やり方・しのぎ方・面白い話。 13慣れ 自分ならこうする。本へのマーク・評価・要約。 14見方 苦手なものは自分に適していない。


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「子どものための哲学」「タテ社会」 [本のこと]

◇日テレの24時間テレビ。これまで最高の平均視聴率(19%)記録したらしい。59歳の丸山和也弁護士、100キロマラソンがんばった(間寛平以後のランナーについては、経験者の方が少なく、肉体的な消耗が心配されていたい)。TVチャンピォンの無人島サバイバルレース、先輩62歳 Fさんが登場。がんばった。ゴール争いこそアクシデントに泣いたが、ズボンに泥を塗りこんで保水力を高めて海水を運んだアイデアは秀逸!

◇「子どものための哲学」 永井 均 (著) ○ 1996年 悪いことをしてなぜいけないか。ぼくはなぜ存在するのか。全身全霊を傾けて発せられる知的疑問・超難問。易しそうな題名に騙されていけない(汗)。基本的な命題ゆえに難しい内容だ。友人のような語り口がよい。青年の哲学・大人の哲学・老人の哲学――子どもの哲学の根本問題は、存在である。森羅万象が現にこうある、というそのことが不思議で、納得がいかないのだ。青年の哲学の根本課題は人生(生き方)の問題。老人のは「死」。 問いの前に 「子ども」のための哲学とは? 理科(物理化学)社会(歴史)は仮説だろう? 「第1の問い」 なぜぼくは存在するのか(独我論をめぐって) ぼくのほんとうの問題 心理現象以外の自分(自我)なんて見つからない?なんてことはない。自己意識はどのように成立したのか? ふりだしにもどった問題 自己の奇跡的存在に呼応するような存在的な価値があるのではないか。ヴィトゲンシュタイン「自分には他の誰にもない何かがある、がその自分とはいったい何か。」そのプラスアルファは脱人格的自我(Self Identity)か。そしてその個別化(各人が持ちながら離脱可能である)を説明するのは「魂」にしか行き着かないなのか。言語ゲーム。「他人は私が本当に言わんとすることを理解できてはいけない。」魂の存在証明とその次のステップ。哲学の終結。 <問いの合間に> 自身を納得させるために見る「上げ底」と存在の問題を考えたときの「副産物」 例えば「生」の対立概念は「死」ではなく生まれてこないことではないか。 「第2の問い」 なぜ悪いことをしてはいけないのか 普遍性がなさそうな道徳に対する懐疑 好いと善い・嫌なと悪い Good or Bad 規則・道徳上の判断 結局得するという功利主義 動機の問題か だれも教えてくれなかったこと 自然感情・道徳・利益を解釈した、「細やかな道徳的感性に対する高貴な鈍感さ!」 道徳の必ず自分を選べという図々しさ。いつも道徳的に善いことをしなければならないことはない。まやかしの必要性 釣り合いの良さ。倫理学は教義・イデオロギー学。哲学と思想。社会で機能的な道徳。信じていた方がいいうそ。「善なる嘘」ニーチェ。裸の王様。ぼくが感じていた問題のほんとうの意味 ) <問いの後に> 哲学とは? 道徳は人間の本質(人間性)なのか。それとも、道徳とは道徳外的価値(安全・幸福)を実現するためのものではないのか。すがりつくべき空虚・ニヒルな価値として創出されたものか。並存・的確さを欠くと汚い陰険なもの・偽善に。子供の直観。認識論的な他我問題と、道徳の通俗的な根拠付けのいずれも通り越したこととには共通の感覚(他者と共有される問題であり続けられない)がないか。<問いの後に>ヴィトゲンシュタインは哲学を潜水に例えた。水面の人と水中の人。哲学は教訓でない。世の中の考え方を自分に理解する考え方・潜水方法。こちら側(心の内奥)にある。通俗性と新奇さで残る哲学もあるが、人の死とともに消滅してもいい。子供はまだ存在の世界から価値を眺めている(老人は価値全体を存在に返すとき)。

<子ども>のための哲学 講談社現代新書―ジュネス

<子ども>のための哲学 講談社現代新書―ジュネス

  • 作者: 永井 均
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 1996/05
  • メディア: 新書

 

◇「タテ社会の人間関係―単一社会の理論」  中根 千枝 (著) 1967年 縦社会日本を指摘した古典的な本であるが、社会の変革が指摘されている現代でもなお色あせて見えない内容であるのは、それほど日本社会の基本型は頑強なのだろう。:日本社会の人間関係では個人主義・契約精神の根づいた欧米とは違い、その「場」を強調し、「ウチ」「ソト」を強く意識する。「世間」を知るための教科書でもあろう。(日本的社会構造にはどのような条件が考えられるか。社会集団の構成の要因を、資格(構成員に共通したもの、例えば、氏、素性、学歴:出身大学、地位、職業、資本家、労働者、など)によるものと、場(一定の職業集団、所属機関、地域、など)によるものに分類した場合、日本は「場」「枠」によって構成される社会を優先する(その中での順序:通常は年功序列、「序列」意識には能力主義もたじたじ)縦社会である。農村・企業体の閉鎖性。嫁の立場そっくりの会社従業員。〈ウチの者以外は人間にあらずの感〉「ウチ」「ヨソ」の意識じ強く、この感覚が尖鋭化してくると、まるで「ウチ」の者以外は人間ではなくなってしまうと思われるほどの極端な人間関係のコントラストが、同じ社会にみられるようになる。知らない人だったら、つきとばして席を獲得したその同じ人が、親しい知人―特に職場で自分より上の人―に対しては、自分がどんなに疲れていても席を譲るといった滑稽なすがたがみられるのである。直接接触的な人間関係、いったん離れてしまえばもうおしまい。(中国人と異なり)複数の場への所属は不可能。こんな社会では「社交性」「ネットワーク」は育たない。日本のような縦社会は、分業が成り立たない社会、「誰でもやれば出来る」能力平等という非現実的な事柄を前提とした人間平等主義・悪平等社会。刻苦勉励。大小の孤立集団は連帯性がなく結局、中央集権(タテ統合)の政治構造を増長させ、戦争への道と工業化達成に導いた(社会組織の貧困)。政治・ヤクザ・派閥(親分・子分)の生じる社会。リーダーと集団成員間の力関係。ヒトラーと東条の戦争責任。リーダーの主要任務は「和」の維持。「人」に従っても「ルール」を設定したり従ったりしない。また、契約精神の欠如のために、共通の目的・仕事の達成に責任感が乏しく、往々にして、それ以上に感情的な人間関係が重要視される社会である。みんながそうするなら。対人関係が自己を位置づける尺度となる(道徳的社会) 社会の条件次第(例えば戦前戦後)で善悪は変わりうる。 ⇒まぁ、ドライな契約関係とウェットな人間関係のどちらが目的を為すために優れているか、僕にもまだその優劣は知れない。ウェットさは、情緒的なといえば生ぬるいが心地よさもあったり、感情的といえば情熱はあってもヒステリックな感じもある。日本社会では論理より感情(非論理 相対的関係)が機能性がある。もののあはれ。日本の酒席の無防備さの良さ。多量の人間がつつがなく社会生活を送っているという現実。日本民族の単一性ゆえのInformal Structure(潜在機能・原動力)か。

タテ社会の人間関係―単一社会の理論

タテ社会の人間関係―単一社会の理論

  • 作者: 中根 千枝
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 1977/02
  • メディア: 新書


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「教養とは何か」世間という切り口から 阿部 謹也 [本のこと]

◇昨日、車で事故るところだった。2車線の道を走っていて、前の信号(T字路)を左折しようとウインカーを付けて右から左車線に寄せていったら、その先の左から出待ちしていた車が目前に急に飛び出てきたので、右に急ハンドルをきって間一髪避けた。2人の子供を乗せた若いお母さんである。前の信号で追いついてきたので窓をおろして「どうしたんですか?」と聞いたら、「(自分が出てきた)あそこで(僕が)曲がるのかと思った。」とのこと。な、わけないじゃん。「車線変更だったんですよ。」といってもピンと来ていない様子。どうして自分に都合の良いようにしか考えないのか。危ない・恐い。◇母方のおばちゃんが亡くなった。90歳台。(そういうことは前にもあったのでもう驚かなったが)おふくろの夢に前夜に出てきてにっこりして去っていたらしい。おばちゃんは、そこが落ち着くからと土蔵に住んでらっしゃった(しろばんばの洪ちゃのおばあさんみたい)。僕の受験のとき綿入れをこしらえて贈ってくださるなど、可愛がっていただいた。お年寄りには、2月や8月の暑寒が極まるあたりはやはりきついのですね。おばちゃんのおかげで事故も避けられたのかも。合掌。

◆「教養」とは何か    講談社現代新書 阿部 謹也 (著) 従来の教養観をくつがえす画期的論考:本書ではいわゆる「教養」が語られない。教養とは、「自分が社会の中でどのような位置にあり、社会のために何が出来るか知っている、あるいは知ろうとしている状態」 と定義されている。世間について著作した著者がその教養について世間という切り口から語っている。「いつ、定職に就くの?」という問いを聞くと「世間」を感じるなぁ。映画「イマジン」の中で、裸のレノンとヨーコがベッドの中から嫌なやつ部屋から追い払うとき、レノンが「世間が僕を悩ませる~(だったか)」と歌うシーンが印象的。 またしても明治の否定的側面が垣間見えるか。~序章 建前と本音 正義や公正を主張する人と、それらがどの条件下で実現できるか考える人の2種類の人間。近代的な諸制度の輸入と伝統的な人間関係である「世間」 。知識人の発言は西洋的知識に裏打ちされたひけらかしっぽいものだが、個人の生き方にはまだ「世間」が関わる。これが建前と本音を生んで深刻な相克となった。日本人の自己の存在自体はまだ世間に依っているのだ(外国在住時の日本人とのコンタクトの違和感・規範・平衡感覚の喪失) 大人になるということ(世間を知る)ということは教育の範囲でない。これは我が国が抱えている問題の根元である。 第1章 公共性としての「世間」 ハーバーマスの(ヨーロッパの)代表具現的公共性 大鏡「世の人」に従って生きようとすると自分の心を偽ることになる(だから後世を大切にしよう)。徒然草 世間は個人の行動や思想を制約する位置づけ。万葉集から西鶴までの無常観を見ると人々の心の底には変化を求めない勘定が連綿として流れていた「あきらめ」と、「ままならぬ」強力で厳しい世間。 第2章 「世間」の中でいかに生きるか。エリートと大衆、と教養市民層 中世の、文字に依らない身振り(ゲスタ)・身体・霊魂 (音楽・ダンス)の教養 仕草・立ち居振る舞い(茶の湯 葬式) 世間との接触 将来の希望(本心)を隠す子供 大人は世間を文字や言葉によらない知の世界であるゆえ、西欧的教育の中で教えられない。魏時代の竹林七賢?嵆康~権力世間の欺瞞と虚飾という事実に支配されながら人間はどのように違った生き方をしてきたのか。  「ニセ」の世間が自然的真実性よりも強力に作用している限り人間も「ニセ」。脱出先である幻想的余地の一つとして詩酒の世界があった。小脱出・大脱出。 世間づきあいを最小限に。本読み生涯。 第3章 個人のいない社会 個人が成立する前の社会 アイスランド「サガ」「エッダ」 私闘・復讐殺人を通して語られる、国家成立前の暴力・正義・名誉・人々の噂(世間)。それは歴史と芸術の混合的真実。 贈り物(霊的)・宴席(非日常的)の重要性。西欧の近代的個人は幻想であって、ヨーロッパにおいてもこの信義・仲間・集団を重んじる古層が基層。世間は本来そのように具体的な人間関係を基にした小さな生活の場であったが、(明治以降の)近代国家においては社会が決定的に組み込まれた。(戦争を主宰して大量殺人を企てた。「世間」の先鋒を担いで支配・強大化したは「マスコミ」「メディア」であったろう。(ブログの発達は一石を投じている 米メディアの事件)) 個人の尊厳は集団の中でのみ守られ、その中でのみ教養人たり得る。世間を本来の姿に戻すためには、その構造を客観的に対象化しなければならない。個人の教養と集団の教養が一致する。終章 「世間」と教養 世間からの逸脱は(心安まる)地域からの脱出で昔は危険極まることだった(即身成仏・人柱)。国家形成・都市化によって世間も変化したが人々の抵抗を受けているが、将来人間の資質を基に柔らかく変えていけるはず。教養は個人単位で生き方を通じて周囲の人に自然に働きかけていける資質。「われ逝くもののごとく」森敦

「教養」とは何か

「教養」とは何か

  • 作者: 阿部 謹也
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 1997/05
  • メディア: 新書


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「なぜ人を殺してはいけないのか」 [本のこと]

◇昨日はさすらいさん主宰の尺八倶楽部に参加させていただいた。詩吟の尺八を吹かれる方が参加していらっしゃって、2時間半あっという間でした。さすらいさんの丁寧なご教授に感心した。他人様にお教えするというのは刺激的!僕にはまだお教えするようなことはございません、という感じだが。ご近所のラーメン屋さん「森や」、素材厳選のこだわりスープ・焼豚・麺、美味しかったです。◇さすらいさんのお宅は、女房の学生時代に住んでいたところのすぐ近くで、懐かしかった。あの頃は新駅ができてガランと空き地が多くて、僕たちも 駅前・街同様も初々しかった。

◆「なぜ人を殺してはいけないのか―新しい倫理学のために」  小浜 逸郎 (著) 2000年 ロンドンテロがあったころ購入していたが、最近やっと読んだ。殺人、自殺、売買春、私、愛、死刑、戦争…。時代の無意識が提示してくる問いに、真っ正面から答える新しい倫理学の試み。現代の若者が直面して悩んでいるであろう問題。いかに大人が説明しづらかったか。~じっさいには この問いは、ある対話会で若者から何の気なしに発せられた問いで、大人の方がすぐに答えられず話題になっていたらしい。いろいろな答え方があるだろうが、自分で答えを探すためにもいいきっかけとなった。 1問.「何のために生きるかという」という問いにたどり着く。それは錯覚のようだが、「生きよ、何かをなせ」という生の充足を求める感情に答える意味がある。生きる意欲を支える一般原理はあるのか。2問.自殺 自殺者の実存(生存)的状況を見ると、他者との共生の可能性が途絶えたと観念した状態に起こりうるらしい。死まで与えられた時間が間延びした空白に違いないと感じられたときである。命の大切さをどう説けるか。3問.私・自分とは何か 私の時間において、ではさて何において生き生きしうるのか、その何かを見つけたい。私とは一つから他へ移動する思考をただ感じるだけ?cf.死に至る病 キルケゴール 「本当の自分」を生きていない不全感。しかし、だからといって具体的・身近な関係性と切り離すことはできない。(カルトの危険) しかし、その「本当の自分」もにせの自分(仮面 ペルソナ))と思っているその自分に求めざるを得ない(パーソナリティ)。自分の作る「関係性」を、ロマンを持って身体を通して揺り動かすことで活動を実感し、生きる意欲(情緒)を生んでいくのではないか。4問.人を愛するとは 情緒が人を動かす。互いに気にしあう情緒的関係(エロス的関係 性愛・情愛・友情・同士愛など)に対して社会的関係(契約・上下・君臣関係) 本来、自身の目的は情緒の充実のはずが財貨獲得になっている。「愛」の感情とは、自分を越える前のめりの行動でもある。しかしその中でなぜ性愛かくも人を揺さぶるのか。それは審美や本能の一種(次の時代の構成 cf.ショーペンハウア)にとどまらず、心身の相互所有という快が双方に得られる上等なものであるから。しかしそれゆえ一旦こじれれば「憎」の関係に転じて精神疾患にもなる。その攻撃性ゆえに倫理性無縁ではいられない。4.不倫 結婚は社会的行為であるが本来不安定にさらされていた。封建時代には家制度とも結び付けられて秩序に深く組み込まれたが、現代では社会的悪までにはならなくなったが、夫婦間の信頼関係への裏切りという心情問題ではある。そしてその十字架の重さ(自分・相手の心の傷の程度)も個別の関係性によって決まる。6問.売春・買春 道徳的嫌悪感の一方で現実してある需要・供給 セックスワークもサービス労働者の一つ?蔑視を受ける理由は、性に対するこだわりとカネのためという嫌悪感か。当事者にとっては神聖・厳粛として格別な価値を持つものが、第三者への公開性を持つときに価値がネガティブなものに反転するがなぜか。それは「性」の力が、日常から別世界へ連れて行く力があったからで、反秩序的であったゆえ、否定的な道徳的感情に育てられたからであるが、一方でその特別な高揚感は決して抑圧されるべきでなかった(され得なかった)(矛盾)。売春は社会それもむしろ、洗練された女性性(武器)を お金でお安く明け渡すことへの反感から同じ女性に蔑視された。ただし、満たされない弱者としての男性のため、誘惑する強者として女性がお金で与えるという構図もある。自然のサイクルに収まらず、仕方なく排出された、過剰な関心がある。関係性への実存的な飢え渇きを満たそうと「人肌恋しさ」を求めた結果であるようだ。7問.他人の迷惑 人権保護以上 電車内携帯 万引き 援助交際 自由な自己決定の限界(未成年者の社会的能力・結果責任)親が叱る、といった情緒が倫理を支える・説得力ある論拠では限界がある。 自分と直接的な関わりのある身近な他者をさしたる理由もなく怒らせたり悲しませたりすべきではない。 迷惑かけないのは最低限のこと。 むしろ迷惑とは規定できない摩擦や齟齬に左右される面が大きいということ(その感覚を養うことが大切)。対人関係における適度な優美さ・しなやかさが必要。傍若無人な態度などで関係を損なえば具体的な迷惑でなくても関係を遠ざける。8問.なぜ人を殺してはいけないのか 「自分は殺されたくない」「自分を責めることになる」「人間性」など内面心理(良心)を理由とする説明の不十分さ。共同体はその権威の永続性を保つために「神・権威」を創造して「禁」で秩序を保った。現代では共同体意識が希薄になくなっている。9問.死刑 殺人を国家・公権力に委ねたのはなぜか。私刑(報復)の代行でなく抑止。国家意思の内容は正義の実行のみ。「何をやっても殺されることがない」という公式は、人間社会全体から究極責任の考えを抜き去り、最終的には人倫の内的秩序を崩していくことになるだろうから、「万死に値する行為」の概念は捨てないほうがいい。」 「人間の生は、自然的には有限の時間と個別の身体性とによって限界付け(生の意味づけ)と社会的な意味による。無規定の自由はかえって行動不能にする。10問 戦争責任 アメリカと違い、中国に対しては犯罪・侵害・背徳的な悪であったか 悪の現場に居合わせて加担したという道徳的存在(姿勢)はないが、共同体の意思の発動が及ぼす結果について国家的な政治的な責任(責務)は個人の心や時間を超越する。しかし、今や近代国民国家は情念としての国家というより機能としての国家であるから「国民一般」の政治的責任は背負う可能性があるなら、「正確な歴史認識・政治参加」といったミニマムなものに限定されるべきである。「旧国家に対する非難感情を、国籍から個人に向けられ得ない。(観念より行動で友好となれるはず。)  ◇学生時代に中国の列車内での長い夜、中国人に取り囲まれて話ししていたとき((これは中国旅行では非常に魅力的な時間です)、抗日戦争の話になって、「究竟天皇是壊人(結局、天皇は悪い人だったのです。」と答えさせられたときがある。でもそれは「軍部の暴走を止められなかった意味で」と説明したつもりだったのだが、拙い中国語でそれを伝えきれたかどうかわからず忸怩したことを思い出す。そのとき特に昭和天皇を擁護する気はないのだが、それは当時の国民においても大方そうであったろうと思う。「偉大な指導者であった毛沢東主席だって、完璧でなかったでしょう?」と、大学授業で習っていた「東方紅」(毛沢東礼賛歌)を歌って切り替えしたら、「アイヨー、勘弁してくれぇ。」という感じだった。

なぜ人を殺してはいけないのか―新しい倫理学のために

なぜ人を殺してはいけないのか―新しい倫理学のために

  • 作者: 小浜 逸郎
  • 出版社/メーカー: 洋泉社
  • 発売日: 2000/07
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)


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「東北の誘惑 終わりのない旅」 [本のこと]

◇高校野球、昨年、北海道は日ハムができて初の優勝チーム(苫小牧)も出て、今年も順調に勝ち進んでいるが、次は楽天のできた東北に活躍してほしい。昨日の酒田南は惜しかったし、東北対決も不運だったが東北高校がベスト8に残った。*相変わらずの清原のごたごたは、巨人にドラフトで指名回避された屈辱の、復讐の様相を呈してきた感じか?

「東北の誘惑 終わりのない旅」 1997年 ジェイアール東日本企画 (編集) 大多数が都会人となり、自己表現の場を農山村に求める自然志向が表れてきた。 東北に魅せられた5人のアンソロジー! ミステリースポットが、超古代史が、人情が、知られざる歴史が、貴重な自然が、…見えてきた。第1章 想像力をかき立てる旅(高橋克彦) ストーンサークル アラハバキ 少彦名神 高千穂~出雲~東北? 小説として脚色された柳田国男の遠野物語 佐々木喜善氏 民話・伝説こそが敗者の歴史 田村麻呂とアテルイ ミステリーゾーン 出羽 天童 空 五葉山 戸来 十和利 唐松神社・鳥海山と物部氏 第2章 美しい自然にそっと触れる旅(夢枕獏) 渓流釣り 渓流が日本で一番きれい 天然の森 日本風土の原点は縄文的 何もしないのが良い:名水や世界遺産に指定されると自然教室や遊歩道やお土産屋の施設ができて観光地化される。その仕立て方のお粗末さ。どうしてあのようにチャライことになるのか。宮沢賢治の個性は東京を経由せず、宇宙と交歓。空海と田村麻呂(と勝道上人)。東北の人は、自分が無償の行為に向かわせられる、忍耐強い人が多いか。 第3章 精神風土にじっくり触れる旅(高橋義夫) 東北の文士は東京に題材を求め出た。自然の前で無力な(飢餓)人間を基にしたユーモア・中島みゆきに近い虐。。坂本竜馬は反対。太宰。自滅する人間の魅力。不倫。毎日の生活の束縛からの解放。過疎。人間の出す土地の空気。口下手・辛抱強い、は仲間の外の話だが、日本人のメンタリティの原型か。 第4章 なつかしい縄文に出会う旅(小山修三) 魚・野菜・山菜は5千年前と同じ。きのこ。漬物。厳しい冬を越すために早くから組織化されたか。エキサイティングな祭りの発達は人集めのため:ねぶたは(労働力の中心の)若者が中心。彼らの活性化が、共同体の発展には不可欠。豊饒・和合・生殖・生産。社会の結束。鬱憤晴らし。パワフルな求心力。

オシラサマ。北米インディアン・オーストラリアアボリジニなど、地域の民族的なものの中に洗練された文化があったことが気がつかれている。遺跡は知的遊園地、その次代の人になりきって考えて楽しむ。アミニズムと蛇。蛇のうろこと貝のぬめり。日本文明は三内丸山から(梅棹忠夫)。第5章 隠された歴史を発見する旅(三好京三) 前九年合戦 藤原四代 人情厚い 秀衡(ひでっしゃ)様 人口は10万人の京都に次ぐ2万人の博多と平泉。蝦夷と安東一族。日下(ひのもと)将軍。十三湊。秀衡弟の秀栄。吉次。

東北の誘惑 終わりのない旅

東北の誘惑 終わりのない旅

  • 作者: 高橋 克彦, 高橋 義夫, 三好 京三, 夢枕 獏, 小山 修三
  • 出版社/メーカー: ダイヤモンド社
  • 発売日: 1997/04
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)


 


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続々白神青森行 [本のこと]

◇郵政民営化案の否決で、衆議院解散・総選挙(郵政解散)が決まった。9.11という選挙の日付といい、諸問題を一元化して単純にYES-NOを迫る手口といい、どこかの国(アメリカ)を連想させて、決断の潔さの割にはどこかえげつなくてスッキリしない。下野・復権後フラフラしていた自民党は、人気首相をたてに何年も政権を維持してきたツケがとうとう回ってきくるか。負ければ 自民党・旧勢権力が本当に分かてられ・弱体させられるのか注目している。妖怪みたいな連中の彼ら(旧勢権力)を応援する気になれないけれど、いまの政権が続いてもホリエモンみたいな妖怪が出てくるだろうし・・・。さて、青森旅行前後に読んだ津軽モノ 3冊。

◇「津軽」太宰治著  文調は今のブログ風のような(それにしても上等だが)。冒頭、子規・紅葉・独歩・芥川が皆30代後半で「ばたばた」世を去っていることに触れているが、彼にとってはたしかに何がしかの(答えを求めるかのような)巡礼だった。「ね、なぜ旅に出るの?」「苦しいからさ」 著者36歳のときの作(自殺の3年前)。戦時中(昭和18年)に発刊されている。本著は、著者にしてはめずらしく素直に、故郷を書いた異色の作として評価されるが、全体にはそうして厭世感・気だるさをただよわせる。(どうも戦中であることだけではないらしい。)これは中学生のときだったか夏休みの推薦図書になっていたかで一度読んだ覚えがあるが中学生に果たして適切だったろうか。今回、年代が近いせいで違った感慨をもって読んだことはまちがいない。彼がけりをつけたのは答えを見つけられなかったからか、見つけてしまったからか。終章、「国運を賭しての大戦争の最中に」、本州北端の寒村(僻陬)の万国旗はためく明るい大運動会で養母「たけ」と再会し、大宴会に「古代の神々の豪放な笑いと闊達な舞踊」を、たけに自分のルーツと「胸中に一つも思う事なき」平和を得たが、同時に「悲しい育ての親」と彼女に育てられた自らの定めを知って、いささか「命あらば」と絶望したかのようだ。それともこれはやはり太宰の目論見どおり淡々とクスッと面白く読むものなのだろうか。

津軽

津軽

  • 作者: 太宰 治
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2004/08
  • メディア: 文庫
 
◇「北のまほろば―街道をゆく」 司馬 遼太郎 (著) VD 太宰治が「悲しき国」と嘆いた津軽・南部・下北。「北のまほろば」という、あるがままの自然から糧を得、明るく伸びやかな国があったのではないか? 本州最北端の大地には縄文の、信じがたいほどの豊かな生活の跡が埋まっていたのではないか(三内丸山)。~南部から為信が切り取って津軽藩が起こった。弘前城下は江戸時代のようなたたずまい。吉田松陰、伊藤広之進、養生園、積み木。幕藩体制における米(石高=貨幣)となる江戸時代において、山瀬という悪風が吹いて"けかち(飢饉)"に悩まされた。藩は米一辺倒政策を固持して、鯵ヶ沢から上方に積み出して、参勤交代等の資金にした。(西の諸藩が換金性の高い物産に力を入れたのに) 津軽・南部(甲斐武田血筋)は無理に無理を重ねた。松明送り・餓死者10万人(当時の人口の1/3)の供養。縄文期に後世が失った知恵があった。日本を代表する縄文・亀ヶ岡遺跡、遮光器土偶(しゃこちゃん)古代人は写実がつまらないと思っていた。マタギの文化。獲物の魂を山に返す。一子相伝の唱えごと。一生に一度我が子に伝えるときだけ発す。たましひのない子には伝えない。伐採の波。その思想は古神道・アイヌに通ず。龍飛岬の猟師。十三湊、中世史上最も活動的だった安東氏の栄華、都市・貿易港。舶来品。土偶の豊かな表情。ヒスイの形の好み・個性。厚い文化の層。汎日本海・オホーツク海圏があった。ねぶたはこの土地のエネルギー・生命力を感じる。夏の悪霊を退散させる鎮魂の御霊信仰。奥が深く何やら際限ない。夜になると太古の匂いがする。地下三尺に・・・
司馬遼太郎街道をゆく 北のまほろば 3[ビデオ]

司馬遼太郎街道をゆく 北のまほろば 3[ビデオ]

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 紀伊國屋書店
  • 発売日: 1998/03
  • メディア: -

◇「津軽のカミサマ カミサマ―救いの構造をたずねて」池上 良正 (著) 1987年  はじめに 津軽地方には、カミサマとよばれる人たちがいる。カミサマといっても人間である。カミサマは「神様拝む人」「神様授かった人」ともよばれる。つまり、神を拝んで、神的な能力を認められた民間の祈祷者のことである。ゴミソと呼ばれることもある。 正確な人数は不明だが、津軽地方全体で100名は下らないのではないかと思われる。こうしたカミサマたちのもとに足を運び、そこに何らかの「救い」を見い出していく人は多い。カミサマと、その依頼者・信者とのあいだにとり結ばれる生き生きとした独得の信仰の世界とは、はたして、どのようなものなのか。

 第一章 カミサマの世界 「一心」に祈る 聖地・赤倉 百沢に対して 私的・個人的・女性的「かげ」 光物伝承あり。山中で修行する行者多く、昭和30年代から隆盛に。 近世以前から連綿と保たれた「異界性」/久渡寺のオシラサマ カミサマは生きている(祈祷者に救いを求める潜在的な依頼者の層はまだまだ厚い)。
第二章 救いの構造  救いとは何か 個人的な重荷からの解放。何が日本的なるものか。日本の辺境といわれるところで一見いかにも古めかしく珍奇な現象のなかに、文化的個性(人間関係、変容・葛藤)が凝縮されているようだ。3つの基本的テーマ 運命─第一のテーマ:運勢・年まわり・厄年 外在的要因の承認 非人格性 キリスト教の摂理と比べて、冷厳な個人主義の理念から個人の尊厳を穏やかに保護する緩衝的役割。(人生に積極的な意味を与える救いのテーマではない) /共苦共感の神々 カミサマはイタコより情緒的共感を強く抱きやすいのか。自己の主体性を必死に確保する必要。「阿闍世コンプレックス」(小此木啓吾氏)「甘え」(土居健郎氏) 超言語的特性「察し」の相互的な要求、暖かい人間関係の創出と否定的情緒(すねる ひがむ ひねくれる うらむ)  ─第二のテーマ/ こばみ:故意に相手にかけるのが邪術、発信者の意図とは無関係に有害な力が発せられるのが妖術 神や霊は祟り、得体の知れない霊は「つく」 「生霊」 怨みは祓われれば自然にかけた当人に返る。成功率8割!? 拒み解消の処方は切り捨て型「祓い」「調伏」「成敗」(修験・密教)と抱き込み型「懺悔」「供養」(カミサマ) 強くてどうにもならないときは、修験系に。 ─第三のテーマ/救いの構造:Ⅰ超人格的作用(運命)、Ⅱ性善的人格作用(救い)、Ⅲ性悪的人格作用(こばみ)の相対的関係 察しとこばみを自由に往還できる⇔キリスト教的絶対的関係(摂理・神・サタン) 悪霊払いはあっても、抱きこみ型はない。
第三章 先祖とホトケ 先祖とホトケ 人間の問題は先祖がらみがやはり多い 霊の昇華 100年?/日本の先祖祭祀 イエ制度/因縁罪障と救い/先祖たちの情緒的葛藤が因縁となって現在の葛藤を生み出している? 位の高い神々(高神)の力を借りて系譜に流れる因縁罪障の消滅を願うことも 先祖の絆/「甘え」と「察し」 先祖・ホトケへの責任転嫁は、本人の心理的負担を軽減するとともに、先祖・子孫に目を向けさせて、基本となる親子関係・家庭内人間関係への内省を導く(当人たちの態度変容を引き出す)戦略。濃厚な甘えと察しの文化に移植された個人主義は往々にして「克己」と責任の自覚をおきざりにしたままま「自由」「自立」の主張ばかり独走させてしまうが、それは一方でそれらを謳歌する背後に、他人の甘えの重荷を一身に引き受けて悩み苦しみ逃げ場を失った人々の群れを作り出している。それはとりわけ女性・老人・心身に障害を持つ社会的弱者である。共苦共感世界のカミサマ信仰はそんな人たちの最後の砦かもしれない。 結びにかえて シャマニズム研究への一視点 「日本のシャーマニズム」堀一郎 出口なお 巫女的教祖と擬制巫 救いのテーマ4点は、いずれも依頼者の個別性を確保し、確保させるという課題がある。画一的価値観が合理化と一元化が強められれば強められるほど、自己表現の道が模索され、シャーマニズムの特性が新たな力を発揮する余地が残されてくる。

津軽のカミサマ―救いの構造をたずねて

津軽のカミサマ―救いの構造をたずねて

  • 作者: 池上 良正
  • 出版社/メーカー: どうぶつ社
  • 発売日: 1987/08
  • メディア: 単行本

 赤倉神社への道


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