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北海道 大雪-旭岳 十勝岳 トムラウシ [山のこと]

◇北海道中膝栗毛: 先週は4-7日で北海道百名山3つに。現地ガイド かとうさんは今シーズン8本目、トムラウシは6度目!とか。きつい山々なのに、がの現地ガイドさん。すごい。サブにはフランス人の まちゅがついてくれました。大雪・十勝・トムラウシ… トムラウシは大雪荘からの往復は厳しかったけれどいい山でしたね~ちょうど埼玉の70歳の方が遭難されていましたが、一昨日無事発見されたとか。よかったです。Mとの話は楽しかった。いわく日本のニュースは事実だけでなくて気持ち・感情を伝えていけない、とか。ワイン・パンがおいしくない、とか(同感)。しかし、北海道も夏の盛りで旭川・帯広では34度で暑かったです。それでもちょっと寒冷前線が下がると、大雪では雹ひょうが降って雷が轟いたりしたのですが。尺八を持っていって最後の日にオンボロロに襟裳岬・風雪などを吹きました。最後になってで、みんなびっくりしていたかも。ラベンダーソフトクリームは美味しかった!夕張メロンソフトクリームも食べたかった!男爵・トウモコロシ味キャラメルはなかなかでした。千歳空港はおみやげモールが充実していて楽しいですね~

  上ホロ亀ットク

 十勝岳が見えた!

 トムラが見えた!

◇8日 高校野球、偶然見ていた文星芸大付大の逆転サヨナラはすごかった。9回1死から3点差を跳ね返しましたね。エラーも重なったけどやはり気迫。 攻守の投手が2人とも泣いていました。11-10。 

◇昨日、10日は昨年に続いてSJ院の盂蘭盆会の手伝いに。1年ぶりのMさんとか、お坊さんの両Sさん。去年ほどの新鮮さはなかったけれども、この時期にやはり気持ちが清々します。 

◇読書備忘。

明恵上人

明恵上人

  • 作者: 白洲 正子
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1999/11
  • ○ 古文に解説がなくて読みなれていないと読みにくい。~明恵が逃れたのは、俗世間だけでなく、仏教からも、宗派からも「出家」しようとして、素人の純粋性を重んじ、仏法以前の釈迦の源泉に立ち返ることを念願としたのです。
  • (あるべきやうわ)栄西は自力難行の禅宗、法然は他力易行の浄土宗を立てたが、明恵の信仰は禅宗に近く、または禅宗そのもので、華厳から出て華厳を越えている。
  • (夢の記) ベルグソンの夢の講演:自然は生きた体の下書きはするが仕上げはしない。魂の方はイデアの世界に住んでいて、それらの魂は体がないため行動することができず、時間と空間の外をさまよっている。ある身体は、ある魂の望みによく応える恰好をしており、自分に似ていることを認めた体は、完全な生命を与えてくれるものとして魂に向かって立ち上がる。魂の方は自分の反映が認められたことを知って、体に引き込まれ、傾き、倒れる。この魂の転落が「生命の始まり」である -夢が出来上がって行く過程-
 
直感への道

直感への道

  • 作者: ペニー ピアス
  • 出版社/メーカー: プロトギャラクシー
  • 発売日: 1999/05
  • ○ うーん

 

スペイン巡礼の旅―パリからサンティアゴ・デ・コンポステーラへ

スペイン巡礼の旅―パリからサンティアゴ・デ・コンポステーラへ

  • 作者: 田沼 武能, 矢野 純一
  • 出版社/メーカー: NTT出版
  • 発売日: 1997/01
  • ○けっこうフランスの内容が多いが、写真はいいし、巡礼の雰囲気がよく伝わってきます。

 

ダライ・ラマ“心”の修行

ダライ・ラマ“心”の修行

  • 作者: ダライ・ラマ14世テンジン・ギャツォ
  • 出版社/メーカー: 春秋社 発売日: 2002/12
  • ○今生じている全ての苦しみや困難は、自分の心の中に巣食っている利己主義と物を実体視する心が生み出したものなのですから、災いはみな、これらの間違った心のせいであると考えなさい。心の平和を乱している本当の敵は、私たち自身の内面に救っている煩悩であり、怒りの心。これを正しく認識することが仏教の修行である。(タントラでは、結界を瞑想して、その中で修行者は守護を得る、と瞑想する修行をする) 無知なためにものを実体視しようとするのであって、そのための対策となるのが、空を理解する智慧・他者をいたわり大切にする心である。
  • ・心を使って、自分の内面に鎮められた心を育て、それによって鎮められていない部分を次第に減らして行き、最終的に鎮められた心の状態がますます高められていくと、聖なるものの境地、阿羅漢の境地、そして究極の仏陀の境地に至ることができる。
  • ・自我に対する執着があるところへ、自分のものという所有意識を持つことによって、執着の気持ちはますます強く、嫌いなものは嫌悪感をますます強める。その逆に、自分というものは自分が思っているような独立した実体のある存在ではない、という無我の理解になれて行けば、自我や私のものへの執着・嫌悪の感情は小さくなる。
  • ・究極の真理(勝義諦) ものの本質的な存在の仕方がどのようなものであるかを分析し、そのような探求の結果見出すことのできる究極的なもののありよう。⇔世俗諦(世俗の真理)⇒「中論」(ナーガールジュナ) 縁起しているものはみな 滅することなく、生ずることなく 断滅でなく、常住でなく 来ることなく、去ることなく 異なっていることなく、同一であることもない 作り出されるものはどのようなものであっても それ自体から、それ以外のものから その両者から、無因から 生じたものとして存在することは決してない :生成も止滅も、それ自体の側から本来的に存在している現象ではない。ものにはその現れと、その本来のありよう、という二面が存在し、この2つの様相はまったく2つの異なったものについてでなく、一つの本質のものの2つの違った様相なのである。(中観派 表裏一体の説明):縁起している存在は完璧に確かに存在しているが、と同時に、すべてのものは、それ自体の固有の存在を欠いている「空」という本質を持った存在である。:つまり「空」とは「因と縁によって生じた縁起している存在」である。
  • ・実体をつかむ間違った考え方を滅するための対策:少しずつ正しい智慧を育み、習慣性の力(習気 じっけ 残り香 ~所知障)を打ち負かすためにたゆまぬ努力を続ける必要。苦しみの因を突きとめ、論理的に物事を考えることによって解決策を見出し、解放される努力を。心を惑わさず、苦しみの止滅へ。広大なる功徳を積むこと(=利他の心) ⇒禅定の力を得るためには、まず体と言葉の悪い行いを慎み、モラルを守って正しい暮らしをする、という戒律の修行を積まなければならない。それには注意深さと、正しい心の対象からそれることのない監視し、良心と誠実さをもって修行することが大切。「戒律・禅定・智慧は3つの高度な修行(三学)」:つまり、利他行に従事しようという良い心の動機と、そのために必要な力を得る手段としてまず自分が悟りを得よう、という2つの熱望がそろうことが菩提心=すばらしい徳のある心となる。:全ての生きとし生けるものをみな等しく愛しい存在だと考える平等心。好き嫌いの区別をなくす。善き行いをして功徳を積むことができるのも他者の存在があるからである。⇒自分よりも他者を慈しむ。自分と他者の立場を入れ替えて考える修行。自分の財産を全てのものに分け与えようという深い愛情心(トンレンの修行)。
  • ・凡夫のようなふるまいをしていると悪趣に堕ちてしまう。子供じみた行いや考え方。
    ・心を安定させるためには、褒められてもけなされても心を乱されることなく、静かにしていられるように、それぞれ異なった感心や気質を持っている世間の人たちと友人になろうとする思いは捨てるべき。森の動物たちや鳥・木々と一緒がいい。
  • ・からだは不浄なものが詰まっているズダ袋?????


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