天草=島原② 島原 [全国(東北 北海道 関西 九州)]
天草=島原② 島原 九州5日間(通しお一人 前後半 各別ご参加数名)も最終日。
有明海の朝焼け
鬼池港からフェリー
島原をのぞむ四郎さま
僥倖、という言葉が浮かびました。
気持ちいい移動です。
口之津について原城跡へ。
城内にあった駐車場が外側に移されていて長く歩きましたが、籠城の地へ。
(別の場所のイラスト)1638年、幕府軍12万もの攻勢に3.7万人ものキリシタンが4か月籠城、最後に全滅。
廃城を復活させて小西行長の家臣などが主導したとか(四郎はまつり上げられた)、とか秀頼がいたとか。。。マカオからポルトガルの援軍は来なかった(幕府はオランダに艦砲射撃させている)。
発掘作業・撮影中!? 帰宅あと、この際にと 日本のキリシタン布教事情を勉強しました(思えば 仏教も新興宗教だったが、日本なりに消化=原理主義は残らない。見るのを見送っていた 遠藤周作「沈黙」の映画も視聴。だいたいわかった(つもり))。NHKスペシャル「戦国~激動の世界と日本」の番組もよかった。
雲仙に移動。開国当初はリゾート地に。
噴煙が良く上がっていますが、下から上に移動しているようです。
ふむふむ:「白く脱色した粘土状の温泉余土」
十字架・・・松倉重政は当初黙認していたが、子の勝家は苛政を行い、乱の後は大名では異例の斬首刑に。
周遊路はけっこう歩けました。
山のエネルギーを感じます。その名はおそろしや、大叫喚地獄。
記念写真
さびれたホテル。
温泉とかいて うんぜんと呼ぶ温泉神社。縁結びの夫婦柿の絵馬。
旧八万地獄のほうをまわって観光協会まで周回しました。このあたりは活動が終わっているようです。
さて最後の訪問地 島原の街へ。先ずは腹ごしらえに、ソーメンチャンポン うんまい(道の駅 みずなし本陣ふかえ)
さて、土石流被災家屋保存公園です。普賢岳噴火30年なんです。
この迫力。お気の毒。
土石流のすさまじさ 非情さ 島原の乱の160年あと1792年「島原たいへん 肥後めいわく」の災害も。(九州では、230年あとに西南の役もあり、長崎原爆もあり)いったいどれだけの戦争・災害が集中するのだろう。
島原城は車窓から。
島原武家屋敷ウォーク
ちょっと知覧に似ているかしら
雲仙普賢岳のお見守り。温泉・湧水とすぐれた景観も自然の恵み。
街中の清流亭で 最後のいっぷく。鯉のえさやりのあと 無愛想だけど親切な店主が かんざらしを出してくださいました。諫早で長崎市内に行きかけながらも、なんとか長崎空港へ一走り。お疲れさまでした。ご参加くださいましてありがとうございました。
(ご感想)お腹も心も充実した3日間でした。ありがとうございました ・皆様お世話様でした。楽しい日々ありがとう御座いました ・(長崎で延泊されたTSさん)雷と雨がまだ続いています。楽しい旅になりました事、ありがとうございました。